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Cum On Feel The Noize


8月ももう終わりだというのに暑い〜。
こんなに暑さが続いているのは管区気象台のしわざ♪
  
 さて僕の高校時代の中で、ひとつだけ実現できなかった夢がある。
 Oイシ君とのバンド結成だ。
 Oイシ君は元々、中学の時に転校してきたUH(うえっちと読む)の親友で、UHはその後、僕と親友になったので、Oイシ君は親友の親友ということになる。
 UHによるとOイシ君はかなりのハードロック好きだということで、彼らふたりはいつか一緒にバンドを組む約束をしていた。僕も仲間に入れてくれと、まだ顔も知らないOイシ君と会える日を心待ちにして中学時代を過ごした。
  
 高校に入学して、偶然同じクラスにOイシ君を見つけたときは、もはや初対面という気はしなかった。
 Oイシ君はUHから聞かされていたとおり、日本人離れした色の白さで男前だった。たぶん先祖に西洋人の血が混じっているかもしれない、欧米人のような整った顔だちだった。
 残念なことにOイシ君は入学してすぐさま他の仲間とバンドを組み、僕は僕でなぜか別なヘビメタバンドにドラマーとして誘われたため、バンド結成を持ちかける機会がなかった。(僕はドラムも叩けるのだ)
 僕とOイシ君は単なるクラスメイトのまま、1年生、2年生と過ごすことになった。まあお互いアホアホ体質なもので、バカな話題で盛り上がっては一緒にゲラゲラ笑ったり、学校をサボってなんば花月に「岡八郎」を見に行く間柄だった。
  
 3年生のクラス替えで、またしてもOイシ君と同じクラスになった。
 3年間ずっと同じクラスいう縁に運命的なものを感じ、ついに僕はバンド結成の話を持ちかけた。
 ギターはUHを呼んでくる。千代田のうどん屋でバイトする姿がサマになっているけど、やはり念願のバンドを組まなければ!
 ドラムは僕が叩く。
 Oイシ君はボーカル。美形を活かしてグルーピーどもをキャーキャー云わせる役目。
 ベースはどうしようか、誰も見当たらないから、バスケ部の加トちゃんにやらせよう。加トちゃんはベースは初心者だが、商店街の細い路地で立ちションをしている最中に犬に追いかけられて、そのままの状態で逃げてきた猛者だ。
   
 バンド結成に賛成してくれたOイシ君だが、彼はデタラメ英語をわめき散らすことに飽きていて、「やっぱり歌詞が大事やで」といった。「どんな歌詞がいい?」って訊いたら、Oイシ君は「オリジナルや!」と言った。
 これがfacebookだったら、僕は「いいね!」を押しまくるところだ。オリジナル曲に異論は全くない。そもそも文化祭なんて他のバンドと曲が被りすぎるのだ。
 1年生の文化祭なんかひどかった。
 5バンドくらいがアースシェイカーの「モア」という曲を演奏した。
 みんなBLACKというバンド衣装専門の店で買った同じような服を着て、さながら「モア」のコンクールだ。審査員に小森のおばちゃまでも呼んできて「モア・ベターよ!」と褒めてもらわなければ収拾がつかないくらいだった。
  
 Oイシ君の提案を大いに喜んだ僕は、常々腹の中で温めていた新バンドのアイデアを述べた。
 高校生らしい歌詞を載せた、爽やかさが不気味なヘビーメタル。たとえば「オマエ」は「キミ」、「オレ」は「ボク」。ウォッカをガブ飲みするような世界観ではなく、高校生らしく「マミー」的なノリでいこう。このギャップは面白いはずだ。
 この考えはOイシ君も喜んでくれた。気障なコトバを選んで並べるより、等身大の自分たちの気持ちをポップな歌詞にして、思いきり叫んだら爽快なはずだ。さっそく僕は作曲に取りかかった。歌詞はボーカリストのOイシ君に任せることにした。
   
 AC/DCっぽい感じを取り入れた曲ができた。ヘビーかつキャッチーなところが、「イケる!オレって天才!」と自画自賛。ギターを弾きながらメロディーを鼻歌でOイシ君に聴かせると、「いいやん!」って気に入ってくれた。
 その場で、ほぼ即興に近い状態で歌詞も完成した。渡り廊下を歩いてゆく担任教師の姿にインスパイアされてできた詞だとか。
 それがこれである。
 
Her Getter

 ハゲにもいろいろあるけれど、
 5円ハゲ、
 10円ハゲ、
 若ハゲ、脱毛症
  頭を叩け ブラシで叩け(ビシバシ!)
 頭を叩け ぺしぺし叩け(ペシペシ!) (2番省略)
 
 Oイシ君と僕は、さんざん笑ったあと、とりあえずふたりでアレンジにハゲんだ。
 昼休み、会議室の屋上でコーラスの部分を考えていたところを、タバコの現行犯で体育教師に捕まり、そのまま2週間の停学と、罰として定番の停学カット、つまり坊主刈り。
 停学明け、お互いの寒々しい坊主頭を慰め合いながら、「あ、こんなところに小さなハゲ」。
 花も恥じらう18歳。さすがにもうこの歌をうたう気分にはなれなくなってしまい、バンド結成の夢は儚く潰えてしまったのである。

 BGM;Cum On Feel The Noize/QUIET RIOT 
 
 
 

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Difficult To Cure
 
 「聖飢魔II」が出てきたときには驚いた。
 あのメイクはKISSのようにインパクトがあったし、ヒットした「蝋人形の館」は「水モノ」の域を超えた本格的。(同時期に出てきた爆風スランプもすごかった)しかし僕や仲間内でヘビメタにハマった時期とは1年くらい遅かったため、残念なことに「聖飢魔II」の音楽に夢中になることはなかった。
 
 元々、僕にとって80年代初期のヘヴィメタルは、エレキを練習するにあたって教則本的な役割だった。「ヤングギター」という雑誌では、リッチー・ブラックモア奏法やマイケル・シェンカー奏法などの特集が組まれ、叙情的な速弾きと泣きのギターは反抗期真っ盛りの僕にも大きな影響を与えた。
 僕のお気に入りはマイケル・シェンカー・グループ(MSG)とその系列であるUFOやスコーピオンズ。フェンダーと間違えて買ったフォウンダーという「いんちきギター」で、マイケルの泣きのギターをこつこつ練習したものだ。
 
 中3くらいになると、ラウドネスなどの日本のヘビメタの人気が高まった。「愛してナイト」という少女漫画の影響もあると思うが、アースシェイカー、44マグナム、マリノなどの日本のバンドが市民権を得て、僕たちのバンド活動もメタル一色になってきた。
 ヘビメタブームを決定づけたのはヴァン・ヘイレンだ。ヒットチャートにランクインするし、マイケル・ジャクソンのBEAT ITでもエディ・ヴァン・ヘイレンが強烈なソロを弾き、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもギターソロが流れた。
  
 その頃になると、マジメそうな女子でも、ナイトレンジャー、ラット、ボン・ジョヴィ、ビリー・アイドルなどを聴く子が増えた。ヘヴィメタルといっても様々な分類があり、キャッチーなLAメタルから、様式にこだわった重厚な欧州のメタル、さらにはデス・メタルやスラッシュ・メタルまで、まさに猫も杓子もメタル天国。
 
 しかしバンド少年の中にも落ちこぼれがいる。速弾きやハイトーンのボーカル、2バスドラムに限界を感じてしまった者たちだ。正直なところ、僕もそのひとりだ。エイトフィンガー奏法とか、インギーの速弾きなんて、練習する気も起きなかった。溜息しか出ない。
 
 伝統と格式のヘビメタとは距離を置こうかと考えだした頃、聖飢魔IIの「蝋人形の館」がヒットした。最初はヘビメタブームのパロディだと思ったが本格的だった。ところがコアなメタルファンからの評価も低かったし、とりあえずカッコいいギターのフレーズは何でもコピーしてみるという貧乏性な僕の趣味も、彼らの音楽には向けられなかった。あの強烈なキャラへの興味を除いては。
  
 バンドの友人の家でダベっていると、音楽雑誌に載っていた聖飢魔IIの話題になった。「我輩は・・・」というデーモン小暮閣下の口調を真似たり、「蝋人形にしてやろうか〜!」などとふざけているうちに、僕たちは変なテンションになってしまった。
 不運にも黒いレザーを模したヘビメタアクセサリーが、友人の家にたくさんあった。
 不運にも深夜だった。
 そして彼の部屋には絵の具があった。
 まさに運命のいたずら。いくつかのきっかけが重なり、人は時として考えられない行動を起こす。
 よく犯罪者の言い訳に「魔が差した」とか「むしゃくしゃして、やった」というものがあるが、その夜の僕たちがまさにそんな感じだった。僕たちの場合は犯罪ではなく、単なる愚行なのだが・・・。

 ふざけた僕たちは聖飢魔IIの写真を見ながら、絵の具でデーモンになろうとした。ゲラゲラ笑いながら白い絵の具をお互いの顔に塗りたくったのである。髪の毛に黄色い絵の具を塗り逆立ててみた。唇を黒く、眉毛のラインを紫色に、頬を灰色に塗ってみると、僕も友人もデーモンである。
 で、あまりにも面白かったから、鋲つきのリストバンドとか豹柄のスカーフなどを装着して、その顔で自転車に乗って自動販売機までジュースを買いにいってしまった。
  
 なにぶん河内長野の田舎のこと。
 時刻は12時を過ぎ、人通りがなく漆黒の闇が広がっている。
 自販機の明かりだけが友人の顔を不気味に照らす。面白さを通り越して怖さに変わった。何しろ化粧品が「絵の具」なので、モノの数分経たない間にすでにパリパリにひび割れており、もはや聖飢魔IIの原型は留めていない。友人の顔は蝋人形どころか、炎で熔けたマネキンのような無残な状況で、夢に出てきそうなくらい怖かった。きっと僕の顔もとんでもないことになっているだろう。
 
 前方からバイクに乗った人が近づいてくる音がする。
 「驚かせたろ!」という悪魔の誘惑。
 自販機の前でバイクとすれ違う瞬間、振り返って「ワハハハ!」と驚かせようとした。
 「よし、後ろ向け!」
 バイクが近づいてくる。
 「今や!」
 タイミングよく振り返ったら、巡回中のおまわりさんだった。
 
 僕たちは一瞬、寿命が止まったかと思った。すべての機能が停止してしまい、逃げることも動くこともなく、茫然とたたずむしかなかった。おまわりさんも一瞬たじろいだが、バイクを路肩に停め、当然のことながら深夜の職務質問がはじまった。幸いにも自分が「いたずら」を受けたことすらも理解していないようだったので、ちょっと助かった。しかし何より、年配のおまわりさんに聖飢魔IIやデーモン小暮の説明をするのに苦労した。
 絵の具だらけの顔で、懸命に聖飢魔IIの魅力について語らなければならなくなった僕たち。きっと悪魔の復讐だったに違いない。長い時間かけて「今はこういうのが流行っている」ということだけ、年配のおまわりさんに理解してもらった。帰り際、「世も末やな」とおまわりさんは呟いた。
 「惜しい、聖飢魔IIです!」
 友人は勘違いして、叫んだ。
   
 ちなみにヘビメタブームもとっくに終わり、おまけに昭和も終わり、バブルがはじけ、バンドブームすら終わり、僕も成人して結婚して息子が生まれ、とっくに20代も半ばに差し掛かったころ、急に「聖飢魔II」にハマりだし、デーモン小暮の魅力について熱く語りだした人物がいた。
 なにを隠そう親友Tである。
 聖飢魔IIの大教典(アルバム)や小教典(シングル)を買い揃だしたT。
 どうやらTの流行は10年近く遅れているようだ。
 
 BGM;Difficult To Cure/Rainbow (邦題;治療不可)
 
   
 
 
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White Riot
 
 高1の頃、柔道で膝を痛めた。右足の「内側側副靭帯損傷」。そのためにしばらくギブス固定で松葉杖生活を余儀なくされ、自転車通学ができなかった期間がある。
 荘園橋から南海バスに乗り、終点の千代田駅まで。そこから学校まで徒歩になるが、通りかかった友人の自転車に乗せてもらうという生活だった。もちろんTの自転車にもよく乗せてもらった。
 
 自転車といえばT。Tといえば自転車。
 彼の白いママチャリは、全天候型。雨の日は透明の雨合羽を着てペダルをこぐし、雪が積もった日は、ツルツルと滑りながら自転車通学していた。
  
 ある日のこと、バスの窓からTを見つけた。千代田駅の手前にある国道310号線の交差点で信号待ちをしている。
 バスの窓を開けて「おーい」と呼ぶのは恥ずかしいし、黙って観察することにした。Tは僕に見られていることを気付いていない。
 
 それにしても、なんて不景気で、面白くないような顔をしているんだろう。
 この道は女子高の通学路でもあり、毎日たくさんの女子高生たちとすれ違うのだが、こんな辛気臭い顔をして信号待ちをしている限り、恋のキューピットからは完全に見離されたままだろう。
 
 たまたまTと並んで信号待ちをしているラグビー部の「パル」なんて、誰もみていないのに、「焼きそばUFO」のような前髪を気にしては、「ここに恋愛に飢えた男子がいてますよ」という虚しいフェロモンを放ち続けているが、それが普通の男子の姿。まったくの無駄を繰り返して、人は成長していくのだ。
 
 それと引きかえTときたら、落ち葉焚きの年寄りが天に昇っていく煙を見上げるような、現世をすべて達観しているような顔で、自転車にまたがっている。
 はたしてこれが同い年の表情だろうか。
 実は親友Tは戦争体験者で、焼け野原になった戦後日本を再建し、高度成長の下支えとなって頑張って働き、おかげで息子たちもみんな独り立ち。しかし40年間苦楽を共にした連れ合いを三年前にぽっくり亡くし、一戸建てを購入した長男夫婦が「都会で一緒に暮らさないか」といってくれるが「ワシはばあさんと過ごしたこの家から離れられん」と、ひとり余生を過ごすために高校生をやっているのではないだろうか、ふとそんなことを考えていた。
 
 すると突然、信号待ちのTの肩に、白いものが落ちてきた。
 例によって鳩のフンだ。
 Tは鳩にフンを落とされやすい人間のようだ。僕はかなりの頻度でそれを目撃している。やはり只者ではない。ウンを独り占めする男、T。一緒にいるときは「うわぁ」なんてイヤな顔をして、それなりの分かりやすいリアクションで騒ぐのだが、独りのときはどうするのだろう。
  
 バスの窓からこっそり親友を観察していると、彼の肩に鳩のフンが落ちてくる、というだけでもかなり愉快な話なのだが、問題はその後の反応。ここは新体操の審査員のように、評価を厳しくして見守りたい。
 
 フンに気づいているのは本人と、バスの中の僕だけだ。
 笑いをこらえながら、さらに観察を続けた。
 Tは真正面を向いたまま、ズボンのポケットをまさぐり、1枚の10円玉を取り出すと、それで鳩のフンをはじき落とした。
 その英国紳士のような動じない姿に、僕はベテランの貫録を感じた。
 ひょっとしたら「鳩にフンを落とされたら10円玉ではじき落としなさい」というマナーが、イギリス王室や社交界に存在するのかもしれない。あるいはTは「鳩にフンを落とされ道」という作法で、何百と門下生を抱えている師範かもしれない。
 まるで流れるような無駄のない動き。僕は彼に満点をつけることにした。
 10円玉をポケットにしまうと、何事もなかったように、Tは再びペダルをこぎ青信号を渡っていった。
 
 BGM;White Riot/The Clash (邦題;白い暴動) 
 
 
 
 
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Eruption
 
 青春のシンボルといえばズバリ「にきび」。想い想われ、振り振られ。「にきび」は少年少女たちの青春の彩りである。しかしこの「にきび」、指で潰さなくても、爆発することを皆さんはご存じだろうか。
  
 ところで、僕たちの高校の柔道場と剣道場は間に共有の部室を挟んで、隣り合わせだった。
 稽古が終わり、姿勢を正して黙想していると、先に稽古を終えた剣道部がガヤガヤと着替えをしたり、ときにはこっそり部室の扉を開けて僕たちの様子を見ている。
 特に主将のオカモトは、やたらと柔道場に入ってきては、うちの部員たちと変なスキンシップをとろうとする。
 稽古後、後輩に技の入り方などを教えていると、オカモトが横から口を挟んだりする。
 これを良く思わないTは、デリカシーのないオカモトを見るたびに、あからさまに不快な表情を浮かべるのだ。 
 もちろん、後輩たちもそんなオカモト先輩を快く思う者はおらず、一度みんなでこらしめようということになった。
  
 計画はこうである。
 稽古後、後輩の誰かがジャレ合う。そいつが青畳に倒されると、僕が「乗れ〜!」と号令をかけて一斉にそいつの上に乗る。次から次に上に乗られて、下敷きになった後輩は苦しむはずだ。 
 オカモトがこれに乗ってきたら、一番下になる者は速やかに逃して、全員でオカモトの上に乗る。余裕があれば関節をきめたり、電気あんまで責めたり、何でもありだ。
 「苦しい〜」と身動きが取れなくなった時点で、僕がオカモトの顔面を、エアーサロンパスを染みこませた道着の袖で擦る。けっこう強烈な刺激でしばらく涙が止まらない。題して「親亀子亀涙ポロポロ作戦」。
  
 余談になるが、これはかつて柔道の試合用に僕が考えた卑怯な作戦のひとつでもある。道着の袖にエアサロンパスをたっぷりとスプレーしておいて、寝技になった際に相手の目元を袖で擦るというものだ。大量の涙のせいで戦闘意欲を失くしたその隙を狙って得意技で倒す。スポーツとしては卑怯だが、武道としてはこういう手もあるということだ。 
 ただし本番、自分でうっかり道着の袖で額の汗を拭ってしまい、策士術に溺れるがのごとく、僕が大変なことになったのだが・・・。
  
 決行の日、部室でオカモトの姿を見るたび、これから起こる出来事を期待して、部員たちがクスクス笑う。
 「何が可笑しいねん?」と、さっそくオカモトが食いついてきた。
 「稽古が終わってから・・・」と小声で耳打ちしたら、意味も分からないくせに「OK!」と親指を立てるオカモト。バカじゃないか?
 そのとき僕はオカモトの鼻の頭にできた小さなニキビを発見した。
 「これ、メンチョっていうやつやろ、痛そうやな」
 「まだそんなに痛くないで」
 「寝るときに歯磨き粉つけたら治るで、クレアラシルと成分一緒やから」
 「そうかサンキュー、今夜やってみるわ」
 などと会話を交わし、お互いの部活がはじまった。
  
 練習終了後、部室の扉がわずかに開いて、オカモトがこちらに入ってくるタイミングを覗っているので、目配せして作戦は決行された。計画どおりハヤシとサカニシがじゃれあっているうち、サカニシが下になる。
 僕が「みんな、乗れ〜!」と号令をかけると、後輩たちが次々にサカニシの上に覆いかぶさる。
 「やめてくれ〜苦しい〜」
 Tもその上に乗る。
 そして最後に「よ〜し、行くぞ!」と僕が声を挙げると、ガラっと部室の扉が開いて「わぁ〜!」とオカモトが乱入し、人の山に飛び乗った。パーフェクトだ。 
 「かかったな、下郎!」
 寝技を心得ている部員たち。その機を逃さず、あっという間にオカモトが下敷きだ。
 「オ、オレと違う!う〜苦しい」とうめきながらも、よく見るとなぜか笑顔だ。こんなスキンシップのどこが楽しいというのだろう。
 誰かが関節技をきめ、また誰かがオカモトの股間を電気あん摩で攻撃する。
 スキンシップの中心で奇声を叫ぶオカモト。 「うひゃひゃひゃ!」と大喜びである。
  
 いよいよ仕上げだ。
 彼の顔にエアーサロンパスが染みた道着の袖を擦りつけようと顔を覗き込んだら、オカモトの顔が次第に赤くなっていく。目が充血し、頚やこめかみに血管が浮き、それでも「アハハ、苦しい」と笑っている。笑ってはいるが、今にも「狼男アメリカン」に変身するのではないかと思うくらいの形相だった。
 「おい、お前ら見てみろ!」
 僕は叫んだ。
 先ほど部室で発見した彼の面疔が、急速に2倍、3倍、4倍に膨らんでくる。先っぽが白くなってきて、今にも噴火しそうな感じだ。
  
 乗っている後輩たちもそれなりに苦しいはずなのだが、それでも僕の指差すものを「どれどれ?」と覗き込んだその瞬間、
 文字にすれば、「ぽ」という平仮名が一番似合いそうな能天気な音をたてて、面疔が爆発した。
 
 その瞬間、一斉に「うわっ!」と叫んで山が崩れる。 
 オカモトの一部はTの頬っぺたに撥ねていた。
 
 ぞろぞろと立ち上がる後輩たち。
 「おい、今の見たか?」
 「見ましたよ、爆発しましたね〜」
 「うわぁ汚なぁ…最悪や〜」
 口々に先ほどの決定的瞬間の感想を語り合っている僕たち。
 当人はまだ青畳の上でヒーヒーと笑いながら悶絶していた。ドMにもほどがある。爆発したにきびの跡から、溶岩のように血が溢れていた。
  
 あれから30年近くたった今でも、にきび爆発のシーンは、スーパースローで見る映像のように鮮明に僕の記憶に残っている。
 
 BGM;Eruption/Van Halen
 
 
 
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Girls Just Want to Have Fun
 
 ♪バナナが一本あったとさ 青い南の空の下
  子供がふたりで取り合いっこ バナナはつるんと飛んでった
  バナナはどこに行ったかな
  バナナン、バナナン、バ〜ナァナン!♪
 という歌をご存じだろうか。
  
 高校時代の親友Tは人見知りが激しかった。嫌いなタイプとは口を利かないし、好きでも嫌いでもない相手とも口を利かない。
 だが、ひとたび心を許した相手にはよく喋るし人懐っこかった。
 心を許した相手のことは何があろうと絶対に裏切らないが、それまでの信頼関係を構築するのがやたらと面倒臭い男なのだ。
   
 そんなTが、陽気な性格を心置きなく発散できる桃源郷は、先輩がいないときの柔道部だった。
 柔道は弱いが笑いのセンスは抜群の柔道部、人を笑わせることに関してはみんな有段者で、僕たち部員は笑いで腹筋を鍛えていたといっても過言ではない。体育会系のクラブにはよく「○○が済むまで帰ってはいけない」という厳しいしごきがつきものだが、うちの場合はよく「センパイを笑わすまで」という、柔の道とは一切関係のない厳しいノルマが課せられた。
 そんな柔道部だから、せいぜい市民大会の準優勝どまり。勝利の女神は一度たりとも訪れなかったけど、笑いの神々は多くの奇跡と感動を与えてくれた。
  
 2年生の夏、とうとうTにとって、目の上のタンコブである先輩たちが引退した。Tの頭上にどんよりとかかっていた黒い雲が去り、虹色の光が差し込んだに違いない。
 よほど嬉しかったのだろう、先輩たちが帰ってしまうと、Tは道場の中を軽やかなスキップでグルグルと回りだしたと思ったら、突然バナナの唄を歌いだした。道場の掃除をしていた後輩たちはTの豹変に驚いて、キョトンとした顔で彼を目で追っている。
 「♪バナナン、バナナン」と大声で歌いながら有頂天なT。
 「Tさんが壊れた」と、ざわざわと後輩たちが心配しはじめたのだが、
 「おまえらに紹介しよう、あれが本当のTや!」と、僕は情けない告白をした。「今まで黙っていて悪かった」と。
 すると、そんな僕の情けない気持ちも知らずに、強烈な躁状態のTも元気よく叫んだ。
 「♪バナナン、バナナン・・・そうや!これがオレの本当の姿や!」
  
 実の息子の本当の姿をご両親が知ったら、さぞお嘆きだろう。
  17年間の年月、手塩にかけて育ててきた長男の真の姿が「バナナン男」である。
 「よくぞ私たちの子供として生まれてきてくれた」と、生まれたばかりの天使のようなTを強く抱きしめて以来、幾多の苦難を乗り越えてきた夫婦。
 やれ「熱を出した」だの「転んでケガをした」だの、幼いTは両親に心配のかけ通し。それでも最大級の愛で息子の成長を見守ってきたはずだ。
 末は博士か大臣か、いやいや慈悲の心をもって周囲の人を幸せにする、そんな人物になって欲しいと願ってきた親心。しかし17年後、その珠のような赤ん坊は両親の期待を裏切り、「バナナン男」と化し、嘲笑を受けている。
 人間、「これがオレの本当の姿や!」という宣言は、なかなかできるものではない。
  
 よほど先輩たちの引退が嬉しかったのだろう、冷ややかな後輩たちの視線も気にせずに、両手をポケットに突っ込み、背筋をピンと伸ばして高らかに歌い、軽やかに跳ねるT。バナナンが止むことはない。
 「さあ〜おまえらもオレに続け!サン、ハイ!♪バナナン〜」
 どうやら一人でラウンドするのに徐々に飽きてきたTは、今度はお供を従えてグルグル回りたくなったのだろう。掃除中の後輩たちにしたらいい迷惑である。物理的にも心理的にも邪魔な存在。僕ですら「五月蠅いなぁ!」とちょっと腹に据えかねていた。
 
 当然のことながら、Tの誘いは全員から無視されたのだが、ニシカワという後輩が、
 「イヤや〜!Tさんイヤや〜!」と抵抗した。
 雉も泣かずば撃たれまい。
 その一言でニシカワは完全にロックオンされてしまった。
 
 「いいやんけ、おまえも歌えや!サン、ハイ!♪バナナン〜」
 今まで規則正しく、道場内を弧を描くようにグルグル回っていたTだが、今度は生娘を手籠めにする悪代官のように、後輩を追いはじめた。こんなに嫌がっているニシカワが、「サン、ハイ!」という号令で、一緒に歌いだすとでも思っているのか。
  
 「イヤや〜!」と逃げるニシカワ、
 「いいやんけ〜♪バナナン、バナナン!」と歌いながらスキップで追いかけるT。
 「やめて〜こっちにこんといて下さい!」
 「♪バナナン、バナナン!」
 「ちょっと、ホンマに歌いませんって!」
 「♪バナナン、バナナン!」
 「誰か助けて〜!」
 「♪バナナン、バナナン!」
  
 道場内を逃げ回っていたニシカワは、「ひ〜っ!」と悲鳴を上げると外へ逃げていった。
 「♪バナナン、バナナン!」
 ニシカワを追ってTが道場の外に出ようとしたのだが、
 「♪バナ…どごわぁっ!
 ゴーンという除夜の鐘のような音が道場を揺らしたと思ったら、扉の前でTが頭を抱えてうずくまっている。
 どうやらスキップが高すぎて、鉄骨製の鴨居に目から火が出るくらい、しこたま額を打ちつけてしまったらしい。
 
 バナナの唄は、「とんでったバナナ」というのが正式名称である。
 飛んで行ったバナナがどこへいったのかというと、小鳥につつかれ、ワニと踊って、最後は髭を生やした船長が昼寝をしているところに「スポン」と落下して、そのまま食べられてしまうというバッドエンドである。バナナン、バナナン、バーナァナン!! 
 
 BGM;Girls Just Want to Have Fun/Cyndi Lauper
                (邦題;ハイスクールはダンステリア)
 
 
 
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Centerfold
 
 僕とTは長年、義兄弟の契りを交わしたような篤い友情で結ばれているが、温厚なTを1度だけ怒らせてしまったことがある。
   
 20代後半のある日、酔っ払って「次は女の子のいる店に行こう」ということになったのだが、根っからのいちびりな僕は、2軒目の店に「おかまバー」を選んだ。もちろん、Tには内緒である。
 
 今にして思えば、なんと残酷なことをしてしまったのだろうと、心が痛む。
 キレイ系の子がぴったりとカラダを密着させて隣に座り、「ワタシのタイプ」なんて熱い眼差しで迫ってきたら、奥手のTがクラクラくるのは当然のこと。何しろ血気盛んな20代のことだから、ちょっとしたスイッチで 「ホレたぜ!乾杯!」になってしまうのは必定。
  
 けれど幸福は、そう長くは続かない。
 この店の「ショータイム」によって、現実と直面したTのテンションは、深い奈落の底まで堕ちていった。
 あんなに嬉しそうたったT。
 最初は照れて無愛想だったのが、万年雪がじわじわと溶けるように心を開いていったTの笑顔は、陽炎のようにはかなく消えてしまった。いい顔してたのに・・・。
 Tはプンスカ怒って帰ってしまった。
 僕にしたら、ちょっとした「ドッキリ」のつもりだった。ゴメンよ。
 かつてのビデオのときのように、「いまどきは、こんなんが流行ってるのか」と、メガネのくもりを拭きながら涼しげに言ってくれると思っていたんだ。
  
 その日から電話にも出てくれなかった。僕は深い反省の日々を過ごしていた。長い長い真冬の到来だ。
 翌年の元旦、Tから年賀状が届いた。
 「今年もよろしく」と書かれた文字をみて、「ああ、Tは許してくれたんだな」と胸を撫で下ろしたが、よく見ると年賀ハガキの一番下に、
 「もうオカマはゴメンだぜ!」
 と書いてあった。
 「だぜ!」、だぜ。
 
 スギちゃんがテレビで「だぜ」というたび、僕はドキリとする。
 あの夜のワイルドなTの姿を思い出して、今もときどき肝が冷えるぜ。
   
 BGM;Centerfold/The J. Geils Band (邦題;堕ちた天使) 
 
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Hungry Heart

 
 親友Tはフードファイターのような驚くべき食欲をみせることがある。それはまるでビデオゲームの名作「パックマン」のような食欲だ。
  
 一番最初は高1の正月明けの出来事だ。
 年末になると顧問の先生が柔道場に大きな鏡餅を飾る。年が明けて、稽古始の日には、顧問直々に大きな鍋で「ぜんざい」を作る。餅は一度、こんがり焼くのだが、カビも薬になるとのことで、すごい火力で焦がすといったほうが正しいかもしれない。
 見栄えのいいところを職員室に配り、その後、道場で先輩から順に食べていく。
   
 先輩の間で「ぜんざい」の評判は好ましくない。
 「去年のぜんざいはママレモンの味がした」とか、
 「おととしはクレンザーの味しかしなかった」と、先輩たちがほとんど口にしないので、1年生だけできれいさっぱり食べきるという伝統があった。
 残すとか捨てるなんてもってのほか。1年坊主たち、新年はじまって一発目の修羅場である。
  
 ところがこの年の1年生は、先輩の前ではいい顔するくせに、心根はクソだった。先輩が帰ってしまうと、案の定、ほとんどの1年生が逃げるように帰ってしまった。残されたのが僕と親友Tである。
  
 僕も甘いものは苦手である。甘いものを食べると胸やけがして、ひどいときには頭痛がする。
 食堂から借りてきたドラム缶のような鍋には、餅こそ減ったものの、まだガロン単位のぜんざい汁が残されており、僕は途方に暮れた。
   
 「どうする・・・?」
 情けない声でTに相談すると、Tは平然とした顔で、
 「オレ、甘党やから平気やで」
 と答えた。
 
 甘党も何も、約20人分くらい残っている分量が問題なのであって、彼の食の好みを訊いているわけではない。何を余裕ぶっこいて笑っていられるのだ。
 「そやけど、この量やぞ?」
 「うん、いけると思うで」
 この日、Tのことをはじめて頼もしいと思った。
 
 僕が見ている前で、ぜんざいが彼の口に飲まれていった。ノドを鳴らしてゴクゴク飲むというイメージからもっとも遠い存在の飲み物、それはぜんざい。
 もしこれを録画して逆再生したら、シンガポール川河口附近で観光客と記念写真に写るマーライオンである。
 
 
 二度目は僕の行きつけの喫茶店「倫敦」でのこと。
 「倫敦」は高校時代の僕の心のオアシスだった。
 ママはいつも僕の味方。おかげで悠々と喫煙もできたし、コーヒーを注文すると、僕たちにだけお菓子が出た(たぶん、ザラメの砂糖をボリボリ食べられるのを阻止するためだったと思う)。
 ときには単身授業を抜け出して「倫敦」で読書にふけったり、モカやブルマン、キリマンジャロとコーヒーの飲み比べをしては時間を過ごした。
 高校3年間、僕はコーヒー一杯で、かなりの時間を「倫敦」で過ごした。
 
 終業式のあと、工事か何かで道場を追い出された僕は、後輩5人とTを連れて「倫敦」にやってきた。まだぎりぎりモーニングに間に合うからだ。
 「倫敦」のモーニングセットは、300円でコーヒーとトースト、サラダ、ゆで卵がつく。いつもお腹を空かせている高校生にはうれしいメニューだ。
  
 ところが僕はちょうどその頃、バンドメンバーの不倫相手が差し入れとしてスタジオに持ってくる、新聞紙に包まれた「ゆで卵恐怖症」だった。固ゆで卵の黄身は、口の中でコペコペになって、容赦なく水分を奪うため、ボーカリストには最悪の差し入れだ。僕はタマゴなんか、見たくなかった。
   
 「お前ら、ゆで卵は固ゆでと半熟とどっちがいい?」
 なにげに後輩たちにリサーチをしたら、僕を含め6対1で半熟派が勝った。
 しかしこの民主主義の結果に従わない不心得者がひとりいた。
 我らがTである。
  
 「みんな何もわかっちゃいない。オレは断然、固ゆで派やけどなぁ」と、
 Tは遠くを見つめるような目をして、ゆで卵の魅力について熱く語りだした。オマエは板東か!
 「固ゆで卵やったら、何個でも食える」と言い張る姿にムカついて、 
 「じゃあ7個食ってみろ」と、
 僕の分と後輩たちの分、そしてT本人の分、合計7個のゆで卵をTの前に並べた。どうだ、さすがにぐうの音も出まい。
 ところが僕と後輩たちが見ている前で、水も飲まずに、ゆで卵が次々と彼の口に飲まれていった。
 もしこれを録画して逆再生したら、満月の屋久島に現れる海亀の産卵シーンである。
  
  
 三度目はほんの数年前のお正月でのこと。
 ちょうどその頃、僕は火鉢に凝っていた。骨董品屋で見つけた丸い青磁の火鉢がお気に入りで、熱燗をつけ、関東煮を温め、餅を焼いての火鉢ライフを満喫していた。
 元旦のお昼過ぎ、Tが我が家に遊びに来た。
 さっそく酒盛りがはじまったのだが、嫁と息子は傍らで火鉢を使って餅を焼いた。網の上で焼き目のついた餅が割れて、ぷーっと膨らむ。我が家は砂糖醤油+味海苔派で、部屋に香ばしい香りが漂う。
 すると、
 「あかんなぁ〜」と、Tが砂糖醤油にイチャモンをつけはじめた。
 「餅はそのまま何もつけずに食べるのが流儀」だとTはいう。
 「それなら、オマエも焼いてもらえ、何個でも何もつけずに食ったらいいやん」と僕。
   
 酒盛りそっちのけで、Tの餅食い大会がはじまった。何もつけないプレーンの焼き餅が次々と彼の口に飲まれていった。正月休み中のために買っておいた餅が、あっという間に全部なくなった。カウントしてみたらTひとりで16個食べていた。チャンピオンである。 
 もしこれを録画して逆再生したら、弟は嘆くと思う。 
 「元旦から何をいちびっているの、お兄ちゅゎん!」
 
 Tは家族みたいなものだから、我が家で遠慮は一切不要なんだが、中年男の胃袋に16個の餅はリスキーだと思う。聞けばうちに来る前に自宅でも5つくらい食べてきたというし・・・。
 彼の健康のため、心を鬼にしてドクターストップをかけるべきだったと反省しているが、僕もその時点で日本酒を2升ほど飲んでいたし、まあいいか。
 
 BGM;Hungry Heart/Bruce Springsteen
 
 
 

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Pinball Wizard
 
 友人のKが、地元のチンピラに捕まった。
 (と、いきなりハードボイルドな展開ではじまる「ジュリーな毎日」である)
 
 高3の夏、Kは地元の怖い人たちにノルマを課せられて、「Hなビデオを売ってこい」と命じられていた。僕もタイトルの書かれたリストを見せられて、1本でもいいから買ってくれと頼まれた。
 
 ところが我が家にテレビはリビングに一台、ビデオデッキもそこにセットされており、しかも襖を隔てた隣室で両親が寝ているから、Hビデオの鑑賞なんてご法度もいいとこだ。身内に不幸でもあって両親揃って出かけるとか、宇宙人にさらわれるとか、そんなチャンスがあればいいのだけど、身内はみんな憎たらしいくらい元気だ。
 昼間は昼間で、獅子舞みたいに金歯を光らせた祖母が茶の間を独占している。無理だ、宝の持ち腐れになる。
   
 しかしKに渡されたリストには胸がときめく文言たちが踊っている。読んでいるだけで鼻血ブーだ。魔がさすというのはこういう状況だろう。蜃気楼のオアシスに向かって歩く、砂漠の遭難者のように、
 「よ、よ、よし、お前が困っているなら1本買ってやろう」と、
 松田聖子のヒット曲と同じタイトルの作品を購入してしまった。
  
 後日、Kから現物が手渡された。
 といっても、不正なビデオのこれまた不正なコピー。パッケージなどごく普通のTDKのビデオテープだった。ラベルすら貼っていない。
 それでもどことなく隠微な香りが漂ってくるのは、僕の中にまだ純情な少年の心があったからだと思う。硝子の少年時代の、破片が胸へと突き刺さったのだ。
  
 ところがものの半日、カバンに入れているだけで、だんだんこのビデオテープの存在がやっかいになってきた。
 教師からよく持ち物検査をされる僕、普通に道を歩いているだけで警官から職務質問、もしもファンの女の子たちに知れたらエラいこっちゃである。やはりこれは僕の手元にないほうがいい。
  
 とりあえず剣道部主将のオカモトに貸すことにした。
 コイツならタイホされても心は痛まないし、オカモトからビデオの内容を聞いて、妄想するだけで十分だ。
    
 翌日、オカモトに「どうやった?」と訊いた。
 「すごかった、ピンポン玉が・・・」
 「えっ?ピンポン玉がどうしたって?」
 かなり気になったが、あまりがっつくのも大人げないと思い、隣で物欲しそうに聞き耳をたてていた剣道部副主将のキダ君に貸すことにした。
   
 さらに翌日、キダ君にも「どうやった?」と訊いた。
 「うん!」
 キダ君は満足そうに頷いた。しかし頷くだけなら貸す意味がなかった。ピンポン玉はどうなったんだ!
  
 「次はオマエ、その次はオマエ・・・」
 消化不良気味のまま投げやりになって、次々と貸す順番を決める僕の肩を、背後からポンポンと叩く人物がいる。
 親友Tだ。
 まさか、そんな、あのTが!
 「味の招待席」と「わくわく動物ランド」と「加トちゃんケンちゃんゴキゲンテレビ」と「お笑いネットワーク」しか録画しないTも、やはりこういう世界に興味があるんだな。所詮オトコなんてさ!
 
 「あ、見る?それやったらイの一番に貸してやったのに」と、
 次の予約者をキャンセルして、優先的にTに貸してやった。
 HビデオとTが僕の中でどうしても結びつかないけど、彼ならどんな批評をするだろう。
 
 翌日、Tに「どうやった?」と訊いた。
 Tはクールに、メガネのくもりを拭きながら、
 「いまどきはこんなんが流行ってるんか?」
 と言ってのけた。
 
 途端に僕は、こんなビデオテープ1本を持て余して、大騒ぎしていた自分が恥ずかしくなった。
 憑き物が落ちたというか、なんて自分は器が小さいのだろと気がついて、肩の荷が軽くなった。
 
 観るぞ、オレも。
 もうこうなったら、一家団欒の席で再生して、家族の前でアハハハと笑ってやる。ばーちゃんの金歯も吹き飛ぶぜ!
 だからT、返せよ、オレのビデオテープ。
 Kから3,500円で買ったオレの青春、「ピンクのモーツァルト」を!!
  
 しかしTに貸したビデオテープは、二度と僕の手には戻ってこなかった。どうやら視聴中、Tはお母さんに見つかって、テープを廃棄させられてしまったらしい。
 おかげで僕もTのお母さんにはしばらく合わせる顔がなかった。
 数日間の夢まぼろし。ピンポン玉の謎も露と消えた。
  
 BGM;Pinball Wizard/THE WHO  (邦題;ピンボールの魔術師)
 
 
 
 
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Good Old-Fashioned Lover Boy
 僕がジュリー、沢田研二さんを敬愛するように、親友Tにも3人のアイドルがいた。

 まず一人目は小林旭である。Tは小林旭のことを「アキラ」と呼んでいる。
 僕の世代にとってアキラといえば、「♪燃える男の〜赤いトラクター」のCMのイメージとか、80年代にヒットした「熱き心に」の印象が強いのだが、Tの好きなアキラは、マイトガイと呼ばれた日活アクション映画のアキラである。
 「渡り鳥シリーズ」と呼ばれる一連の作品を、Tはこよなく愛しており、劇中のアキラこそが男の中の男だと思っている。

 1980年代半ばといえば、都会的で華奢な俳優が、カフェバーやプールバーでカクテルを飲み、リッチなマンションに住んで、恋愛しまくるドラマがトレンドになりかけた頃。
 確かに僕もその時代の軽薄さには嫌悪感を抱いていたが、Tにいたっては、草原で馬に乗るアキラ、波止場でガットギターを「爪弾く」アキラが、もっともかっこいいという。

 折しもその頃、ジュリーが歌っていたシングルが「渡り鳥はぐれ鳥」。アルバム「ノンポリシー」にも、どことなく古き良き日活映画のオマージュを感じとることもできたのだが、Tは「それみてみろ」とばかりに得意げになる。問題はTが「ようやく時代が自分の感性についてきた」と勘違いしていたところである。 

  
  

 つぎのアイドルは、Tが住む団地の、真上の階に住む「ナカオカのおっさん」という人物だ。もちろん僕は面識がないのだが、Tの話によると、普段は愛想もよくて、町会的なイベントにも積極的に参加する、人畜無害のおっさんなのだが、唯一の弱点といえば、溺死寸前まで酒に溺れること。

 
 Tはよく、「昨夜もおっさん、酔っ払いよった」と、最新のホットな情報を伝えてくれるので、徐々に僕も頭の中に、おっさん大活躍の情景を思い浮かべることができるようになってしまった。


 ひとたびナカオカのおっさんに酒が入ると、志村けんがコントでやるような見事な酔っ払いに変身する。ヘベレケで帰宅して、フラフラと階段を上ったり下りたり、大声でわめきながら自宅の扉をドンドンと叩き、奥さんが近隣の住民への迷惑を咎めると、日頃温和な顔で接している住民たちに対する罵詈雑言、悪態をつく。ようやく奥さんになだめられて家の中に入っても、眠りにつくまでひとしきり暴れ、家具や食器が破壊される音などが聞こえるそうだ。

 
 お笑い好きのTにとっては「リアル志村けん」である。マジメな家庭に育った彼らにとって、酒乱モードの人間なんて異端そのもの。Tは布団の中で息を殺して、そんなナカオカのおっさんの一大パフォーマンスを堪能する。翌日、シラフに戻った温厚なおっさんの姿を確認すると、なお面白いのだそうだ。

 物真似の上手なTはその状況を再現して話す。そばで目撃しているわけではなく、じっと聞き耳を立てているだけなので、大まかなところは空想力をはたらかせているわけだが、頻繁な出来事なだけあって、クオリティは高い。

 
   

 最後のひとりは、血の気が多い僕の親父である。

 PLの花火をみるために屋根に上ったはいいが、その後、屋根から飛び降りて足を骨折した話をすると、Tは大喜びで僕の親父情報を求めるようになった。


 かつて僕が中学の頃に、親父が部屋に入ってきて、「勉強なんかやめてしまえ!」と僕の教科書類を窓から捨てようとしたが、ガラスが閉まっていることに気づかず、手を7針も縫うケガをした話や、学校でタバコを見つかって停学の呼び出しを受けたら、教師の見ている前で僕をボコボコに殴ったくせに、親子仲良く一緒にタバコを吸いながら家に帰った話とか、Tはそんなうちの親父のダメダメ話に興味津々。
 我が家に遊びに来たときは「おっちゃん、おっちゃん」と親父を慕っていたし、親父のカラオケ教室の発表会など、息子の僕よりも張り切って観に行っていた。
   

 まあ、それをいうならTの親父さんもなかなかのもので、ハワイ旅行の僕へのお土産が、ダンヒルをワンカートン。それを「吉本君に」と登校する息子に渡す。Tが朝の校門で生徒指導の持ち物検査なんかされたら、即アウトである。この子にしてこの親あり。なかなかファンキーなお父さんであった。
 
 異端の中年おやじに愛着を持っていたT。
 気が付けば、自分たちの年齢もそろそろ仲間入りである。
 
 

 BGM;Good Old-Fashioned Lover Boy/QUEEN
  
 

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 父親がゴルフのコンペのブービー賞で、ビデオデッキをもらって帰ってきたのは、僕が高校2年の頃だった。
 念願のビデオデッキ、中学の頃から欲しい欲しいと思い続けていたビデオデッキ。
 歌番組のジュリー映像を繰り返し何度でも見たいという願望や、ベストヒットU.S.Aなどで最新の洋楽情報が見たかった。動く海外ミュージシャンなんて、当時はなかなか見ることができなかったもの。
  
 しかし我が家では数年遅れのビデオデッキ・デビューである。
 冬に冷やし中華を食べるような、居心地の悪さがあったものの、    
 「ついにビデオがきたよ」
 ビデオデッキが届いた翌日、僕はTに報告した。
 「そうか、やったなぁ!」
 Tも喜んでくれた。
   
 日頃からいろいろと録画して、貴重なコレクションを収集しているTのことを、僕はビデオデッキのヘビーユーザーとしてリスペクトしていたし、何より、お目当ては彼のビデオテープだった。
 なにしろ僕にはデッキはあるが、肝心のテープがない。まるでフォークとナイフを持って飢えているに等しい状況、ハングリー・ライク・ザ・ウルフである。
 話し相手があってこその糸電話のように、何かテープを再生してこそのビデオデッキ、頼みの綱は笑いの琴線が似ている、親友Tしかいなかった。
    
 「何か録画したビデオテープ」をTに所望すると、快く応じてくれた。
 しかもそれだけでなく、自分の家のビデオデッキを持って僕の家に来て、AVケーブルをつないで彼のコレクションの数々をダビングしてくれるという。
 どうやら彼の中でも、親友同士、同じものを共有したいという気持ちが芽生えていたかもしれない。
 やはり持つべきものは友だと親友に感謝し、そこまでして僕に見せてくれようとする映像に期待した。いったい、どんな感動が僕を待ち構えているのか。
   
 次の日曜日、Tは自分の家のビデオデッキを自転車のカゴに入れてやってきた。
 そして器用に我が家のデッキと接続すると、
 「さあ、何がいい?」と、
 何本かのビデオテープを出してきた。
   
 「・・・ん?」
 僕は我が目を疑った。
 持ってきたビデオ・コレクション、ケースのラベルにはマジックで「味の招待席」と書かれており、しかも1,2,3・・・とナンバリングまでされている。
  
 この「味の招待席」とは、月曜から金曜までの毎日、9時の番組と10時の番組の間に放送されていた、実質3分くらいの料理番組で、関西の料理屋とそこの人気メニューの作り方を、タキシード姿の桂米朝師匠がナレーションで紹介するというものだ。
 確かにその語り口と料理の映像は、小腹の減った夜の10時前には食欲をそそるものだが、なぜそれを今、ダビングしてまで見なければならないのか。
  
 「味の招待席」はかなり以前から、Tが弟と一緒に毎日、几帳面に録り溜めているのだそうだ。
 「えっ?・・・これ、繰り返し見てるの?」
 「たまに、な」 
 Tはすました顔で答えるが、僕は心の中で、この悲しい兄弟の姿を思い浮かべて目頭が熱くなった。

 「おいジュン、録画のセットは済ませたか?」
 「ちゃんとセットしたよ、お兄ちゅゎん」
 「ビデオテープが一杯になったら、一緒に見ような」
 「うん。一緒に見ようね、お兄ちゅゎん。ひとりで見ちゃダメだよ」
 「はははは。こいつぅ!」
 
 そしてある日、ビデオを再生する。
 
 「お兄ちゅゎん、あの急須の中の茶色い食べ物は何?」
 「あれは松茸っていうんだよ」
 「ふーん、あれが松茸か・・・美味しいんだろうな」
 「お兄ちゅゎんも食べたことはないけど、米朝師匠がいうんだから、きっと美味しいんだよ」
 「松茸食べたいよぅ、松茸食べたいよぅ」
 「ガマンするんだ、ジュン。いつかお兄ちゃんが働いて、きっとお前に腹いっぱい松茸を食べさせてやるからな」
 「約束だよ、お兄ちゅゎん。きっとだよ、絶対だよ!」
 「ああ、約束だ。きっと守る。それまではこの永谷園のお吸い物でガマンするんだ!!」
 嗚呼、想像するだけで涙が止まらない。
  
 自宅のビデオデッキの配線を全部取り外して、自転車カゴに精密機械をのせて、我が家まできてくれたことは深く感謝するが、「味の招待席」のダビングでビデオデッキ・デビューすることは、高校生の僕には渋すぎるので、丁重にお断りした。
  
 しかし「味の招待席」をコレクションしていた彼の弟ジュンは、その後もビデオなどの映像機器やテレビ番組に興味を持ち続け、現在はプロとして某テレビ局の番組制作に携わっている。
 
 BGM;You Might Think/The Cars
 

 

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