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伊藤銀次さんの自伝

僕が「伊藤銀次」という名前を知ったのは、
「G.S.I LOVE YOU」のクレジット。
「佐野元春」との出会いでもありました。
小学生から中学生に変わる頃、
この出会いは僕の音楽人生にとって、
大きなインパクトがありました。
何しろ、音楽への興味がどんどん広がる機転になりましたから。


中3の頃、音楽準備室にあるガットギターで、
「I'm in Blue」を弾き語っていたら、
「吉本君、すごい!」と
若い音楽の先生に褒められました。
教師に認められたことがなかったので、
すごく嬉しかったんだけど、
その先生が伊藤銀次さんの後輩で、
「いつか銀次さんに会わせてあげたい」なんて
言っていただきました。
実現はしなかったんだけど・・・。


高校の生徒会室で銀次さんの
「彼女のミステイク」を弾き語っていたら、
現国の先生が、
「伊藤銀次とは同級生だから会わせてやりたい」と。
これも実現はしなかったんだけど・・・。
(ちなみに僕はふざけて生徒会選挙に立候補したら、
圧倒的な支持率で当選してしまい、生徒会長を2期務めました)


ただこの恩師が銀次さんの後輩であったり、
同級生であったりしたことで、
伊藤銀次さんに対してとても親近感をおぼえました。


現在、facebookで伊藤銀次さんと「おともだち」。
誕生日に銀次さんにメッセージをいただいたり、
ときどきコメントに返信していただいたりして、
(「アルシオネ」誕生のエピソードを教えていただいたぜ!)
恐縮&感激しているんですけど、
そのたびに「G.S.I LOVE YOU」での出会いの思い出が、
この年になっても鮮明によみがえります。


さて、伊藤銀次さんの自伝「MY LIFE, POP LIFE」。
この本、とても読み応えがあります。
皆さまもよろしければ!


Part 1 誕生〜幼少期の音楽体験
Part 2 ロックの洗礼を受けた中学~高校時代
Part 3 ドロップアウトと「伊藤銀次」の始まり
Part 4 ごまのはえデビュー~ココナツ・バンクの挫折
Part 5 福生から都心へ――セッションに明け暮れた時代
Part 6 松原みき、佐野元春――ギタリストからアレンジャーへ
Part 7 沢田研二とのレコーディング:1980-1982
Part 8 激務の合間を縫って始まる二度目のソロ・キャリア
Part 9 ポリスター末期〜東芝EMIイヤーズと「イカ天」
Part 10 ウルフルズと90年代〜2000年代初頭のプロデュース・ワーク
Part 11 2000年以降〜現在までの活動
対談:伊藤銀次×上原“ユカリ"裕


 

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さよならボロロン号

息子が中1の頃に、ワゴンRに乗り換えた。
それまではちょっと気取ったヤツに乗っていたけど、
息子の成長にともなって、車内が手狭になったのと、
ちょうどその頃、親子で魚釣りをはじめたので、
そこそこ荷物が入り、足回りの軽い車をということで、
友人のショップで中古のワゴンRを選んでもらいました。


このワゴンRがよく走る。
それまで抱いていた軽自動車のイメージが払拭され、
あちこちの釣り場や、買い物、往診(仕事)、
そしてギターやアンプを積んでの移動など、
長年、重宝してきました。


カーステレオの調子が悪くなれば、
mp3、SDカード対応のプレイヤーで、
運転中のBGMはちょっとした動くCD倉庫。
このメモリーカード一枚におさめられた楽曲たちは、
きっとマニア垂涎のラインナップ。


そんな感じで、いい気分でつきあってきたのですが、
しかし歳月を重ねるごとにいろいろとガタがきます。
徐々にさまざまな故障を繰り返してきたり、
バンパーに数か所の擦り傷、
そして放置し続けた水アカに油膜。


多少、見てくれがボロでも、
車にスレータスを感じない僕にとっては、
むしろプレッシャーなく気軽に乗れる分、
かえってどんな新車よりこっちのほうが快適。


誰が呼んだか「ボロロン号」。
ときにはエサのアミエビをボディにはりつけたまま、
あちこちの釣り場を駆け廻り、
うっかりボンネットに口の空いた缶コーヒーをのせたまま、
スタジオの駐車場から発進したり、
愛すべき相棒として共に過ごしてきました。


ところがとうとうエアコンがぶっ壊れた。
これは暑がりの僕にとっては致命的で、
即、ディーラーに持っていったら、修理代をきいて愕然。
エンジンの状態も「もはやいつ止まってもおかしくない」と、
せつない説明を受けまして、
今回の車検を機にお別れすることに決めました。


ただ、この愛着あるボロロン号に代わって、
ハイスペックな新車を購入する心境にはなれず、
中古車を探すことにしました。
しかもできればボロロン号と等価交換くらいの。
そう、欲しいのはボロロン2号。


で、いろいろと中古車屋をまわり、
ついに見つけた掘り出し物。
納車は来週。
つまりボロロン号とはあと1週間のつきあい。
感謝の意をこめて、何年かぶりにピカピカに洗ってやるか。


そして最後の日はボロロン号で佐野元春の「THE SUN」を聴く。
釣りのジンクスで、このアルバムをかけながら出かけると、
不思議とボウズがなく、けっこう大物や数が釣れる。
つまりボロロン号で一番聴いた音楽は、
佐野元春「THE SUN」。
一曲目の「月夜を往け」を聴きながら、
夜釣りのハンドルを握った思い出。
ボロロン号、長い年月、僕や家族と過ごしてくれて、ありがとう!

 

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井上堯之さん

井上堯之さんの訃報を知り、
ゴールデンウィークどころではありませんでした。
とても寂しい気持ちです。


僕がはじめてギターという楽器を意識したのは、
(キカイダーや怪傑ズバット以外で)
小学生の頃、ベストテンでジュリーの曲を聴き、
毎回アレンジが違うことに気がついてからです。


それは僕にとって、ジュリーのシングルが、
他のクラスメイトのように、
ただの歌謡曲や流行歌としてではなく、
「バンドサウンド」に変わった瞬間です。
中でもジュリーと背中をくっつけてソロを弾く堯之さん。
「カッコいいなぁ〜」と思いました。


当時の使用ギターはギブソンL6-S。
エンドース・アーティストはカルロス・サンタナ、
ギブソンでは珍しいメイプル指板の24フレット仕様。


おもにライブ盤や動画を参考に
ジュリーのギターパートをコピーするのが僕の趣味なんだけど、
堯之さんの音に似せることって難しい。
(あの繊細なタッチを真似るなんておこがましいけど)


とくに「ロックンツアー‘79」なんか聴くと、
さすがレインボートーンのL6-S!
コントロールを駆使して、
さまざまな音色が飛び出してくる。
僕もぜひどこかで試奏してみたいですが、
機会がなくて・・・。


ジュリーの楽曲はギターのフレーズが印象的なものが多く、
聴きこめば聴きこむほどに奥が深い。
まず最初にそれを教えてくれたのは、
やはり堯之さんです。


あと堯之さんのギターで個人的に気になるのは、
「太陽にほえろ!」のイントロのサイレンみたいなところです。



(↑この動画でまた泣けてきた)


日本のロックを作ってきた偉大なミュージシャンが、
次々と旅立たれます。
あの方々の功績は計り知れません。
音楽を愛する者として、本当に感謝です。
遺していただいた音楽から、
これからも元気と勇気をもらい続けたいと思います。


井上堯之さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 

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我が家の敷地で戯れる
ゴールデンウイーク、
我が家の敷地内もスペシャルな状況です。

戯れる子猫、こちらも自然と顔がほころぶ。

まだすべての動きがぎこちなく、
目が離せないんです。

もう一匹は警戒心が強く、室外機の裏に隠れていますが、

この子はなかなか人なつっこい。

でも隣で母猫が威嚇するので、
目一杯は近づけないんです。



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