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2008年、アリガトーネ!

本日の午前中が仕事納めの僕。
自宅にはパソコンがなく、ブログのチェックはケータイだけになりますので、記事はこれが今年の最終になります。
思い起こせば、この「ジュリーな毎日」な1年は、たくさんの同志との出会いの年でした。
 

ブログを通じて知り合った皆さん、本当にありがとうございました。
「ぼんち」や「ドーム公演」で念願が叶ってお会いできた方、1年ぶりに再会できた方、行きつけのお店でお会いできた方、それにまだ見ぬ気の合う同志たち、いろいろとお騒がせしました。
 
 
去年くらいからライブ会場などで「ブログ見ています」なんてお声をかけられることもあります。
それまでは、ライブに息子を連れて行くときなど、子連れ狼みたいなアウェイ感があったけど、今はおかげさまでそれもなくなり、最近は立場も逆転し、僕が息子に連れて行ってもらっているような状態です。


今年も「前夜祭」にはじまり、「ぼんち」、「還暦だぞ!!ROCK'N ROLL MARCH」、そして「人間60年、ジュリー祭り」と、澤田さんの誇りに満ちたお仕事を観させていただきましたし、3月には大澤誉志幸さんのライブで間近で柴山さんのギターや泰輝さんのピアノが聴けました。アルバムを聴き、DVDを観て、仲間と語らい、ご満悦の一年。


ブログのほうも毎日、皆さんからのメッセージを見るのが楽しみだし、その名のとおり充実した「ジュリーな毎日」が過ごせております。これからもずっと続けていきたいと思いますので、皆さんからの情報や、思い出などもたくさんお待ちしております。


来年からはもっとマニアックな記事も復活させていきたいと思いますし、これからギターでもはじめようかなと思っておられる方にもメリットのある記事、「さすが大阪人」と笑っていただけるような記事、また他にも皆さんに関心をもっていただけるような記事を、調子に乗ってどんどん書いていきたいです。


ただ僕は皆さんご承知のとおり、文章力、ボキャブラリー、細やかな配慮などが欠落しておりますので、ときにはヘタをうってしまうことも多々あろうかと思いますが、そういうときは、どうか愛のあるツッコミをお願いいたします。


あと近況報告としましては、高3の我が愚息はおかげさまで大学の進路も決まり、現時点での展望では歴史関係の道にすすむことになっております。今はライブ会場のスタッフのバイトに励んでおりまして、昨日は「Kinki Kidsのライブで建さんを見た」と喜んでおりました。彼が乏しいバイト経験の中でみたアーティストのライブでは、バンドの演奏が格段に良かったそうです。


今年は皆さん、本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
| その他諸々 | comments(10) | ブログトップ |
NHK ジュリー祭り
 
両日とも観ました。
昨夜にいたっては、忘年会を早めに切り上げてテレビの前にスタンバイ。
何しろ、使い慣れていないタイマー録画なもので気になって仕方がなく、安心して酔っていられなかったからです。
 

ドームの客席で観た興奮とは別の、クールな興奮が沸き立ちました。
客席でもスクリーンでアップのお姿は観ていたんですけど、こうして自宅のテレビの前でコタツに足をつっこんで観るライブも、なかなか感慨が深いものです。
 

ああ、こんな表情していたんだ・・・なんてね。
澤田さんの雄姿は誇らしく、柴山さんも始終にこやかで、ギターもさりげなくカッコいいフレーズの連発。
たとえば「ROCK'N ROLL MARCH」の♪チャッチャッチャ、チャチャッチャ〜のあととか、「勝手にしやがれ」のリズムギターとか、言いたいことはたくさんあるのですが、ギターを弾かない人にはちょっと分かりにくいだろうな。
 

で、我らがジュリーの表情ですよ。
ライブが進むにつれて、少しずつ疲労が出てくるのも、デジタル放送だからかよく分かる。
でもその「疲れた顔」がまたいい表情してるんだ。
僕は変態ではないけど、ファンとしては「澤田さんの疲れた顔フェチ」とでもいうのかな、疲労と陶酔の入り混じったあのお顔は、男の僕がみてもシビれる。穴という穴をすべて半開きにしたお顔、つたう汗、くずれた衣装・・・。
僕が女性だったら、イチコロですよ。
 

そしてあらためて、圧倒的なボーカルには驚かされます。
京セラであれだけ辛そうだった「いい風よ吹け」の高音部も本当に気持ち良さげだったし、「ヤマト〜」なんて「ヤバイ、年の瀬に風邪ひいたかな」って思うくらいゾクゾクっと鳥肌がたちました。
 
 
前回の記事のコメントでも少し触れましたが、「我が窮状」は、2コーラス目、東京ドームではちょっと歌詞がアレだったような記憶があるのですが、京セラのものと差し替えたのかなって思います。


澤田さんの「サンキュー、ありがとう、アリガトーネ!」はテレビ放送から一夜、二夜明けた今も耳に残っているし、これはぜひともDVDで全編観たい、観なければ、と思います。


それから、この両日のテレビ放送はかなりの視聴率をとったのではないかと思います。
昨日、今日と会う人みんなに、「ジュリーやってたね、すごいね」とお言葉をいただいております。
74歳の男性が「あの人はすごいな」なんて、テレビに釘付けになったそうです。
「ヘヘン!」
澤田さんへの賞賛の声は、客席でギャーギャー騒いでいただけの僕まで胸を張りたくなります。


| 沢田研二さんのこと | comments(21) | ブログトップ |
地デジ・ブルース
 
いよいよ明日と明後日、「ジュリー祭り」の放送だ。
♪ランラン♪ルンルン♪ウキウキ♪ワクワク♪

12月27日(土)総合/デジタル総合
午後10:00〜午後10:45(45分)
沢田研二ライブ 人間60年ジュリー祭り IN 東京ドーム

<曲目>
そのキスが欲しい
シーサイドバウンド
我が窮状
いくつかの場面
ROCK’N ROLL MARCH
時の過ぎゆくままに
愛まで待てない 
 
12月28日(日)BShi
午後10:30〜翌日午前0:00(90分)
人間60年ジュリー祭り 沢田研二LIVE IN 東京ドーム

<曲目>
そのキスが欲しい
確信
シーサイドバウンド
巴里にひとり
いくつかの場面
睡蓮
君のキレイのために
さよならを待たせて
不良時代
サムライ
我が窮状
TOKIO
ROCK’N ROLL MARCH
勝手にしやがれ
あなたに今夜はワインをふりかけ
ヤマトより愛をこめて
気になるお前
いい風よ吹け
愛まで待てない


この日のために、我が家も地デジ対応のケーブルテレビを引きました。
「キレイな画質で、DVD-Rに永久保存だ」
「何度でも観よう」
などと、当初はウハウハ状態でした。


しかし、放送が明日にせまった段階でショッキングなことが判明!


うちのHDDレコーダーでは、DVD-Rへのダビングができない。
DVD-Rへの直焼きもできない。


Oh No!


なんだかね、著作権保護ということでCPRMという縛りがあるみたいです。
「1回だけ録画可能」というコピーワンスも、
CPRMに対応しているレコーダーと録画用メディアが必要なんだって。
そうして録画したものは、CPRM対応プレーヤーでなければ再生できない。


我が家のHDDレコーダーはパナソニック製のE80Hといって、2005年6月以前発売モデル。
ズバリ、CPRMは非対応なブツです。
「注意 CPRM対応DVD-Rディスクは使用しないでください」ときたもんだ。
2003年4月発売のモデルなんですが、通常は機嫌よく動いてくれているし・・・。
パナソニック製は、2005年7月以降に発売されたモデルなら、CPRM対応です。


ケーブルテレビでドリフ大爆笑もHDDに録画した。
北斗の拳の外伝シリーズも録画した。
ゴジラも録ったし、映画「自虐の詩」にいたっては、一回観て涙出たので保存用に録画した。


でも、DVD-Rに焼けないのです。


最新のレコーダーは300ギガなどの大容量ですけど、
ささやかな、うちの愛機は80ギガ。
残量はもうあとわずか・・・。


チューナーがあれば地デジが見れると思っている人、つまりそういうことなんですよ。
最新のレコーダーがなければ、ツブシが効かない。むしろ不便だ。


試合に勝って勝負に負けたような気分というのかな、
確かに映像はキレイだし、番組表とか、予約などもすごく便利。
なのに、なのに・・・。


たとえるなら、飛行機の免許や船舶の免許をもっていたり、
実はニュータイプでガンダムまで操縦できるんだよ、スゲーなぁと思っていたら、
自動車の免許がなかったよ、オイ・・・っていう感じとか、
仮面ライダーに改造されたのに、バイクどころか自転車にも乗れませんという感じ、といえばいいかな。


あるいは、砂漠でインスタントラーメンしかない状態。
乾燥麺をバリバリとそのまま食べるしかないのか!



とにかく我が家の80ギガ録画できるHDDレコーダーが、地デジとは互換性がないことの判明。
録ったら終わり。
それでもいいやと、HDDに録画しても本体が壊れたら終わり。
どうしようかと焦りながら、自分でも笑ってしまいました。
 

12/29 放送が済んだので曲目のリストを白地から黒に変更しました
| その他諸々 | comments(30) | ブログトップ |
このブログについて
 
ドーム公演の前後から、このブログのアクセス数も爆発的に増え、記事の更新もちょっとビビってしまう今日この頃。皆さま、当ブログへのご来訪、本当にありがとうございます。
 

今日はこのブログ「ジュリーな毎日」について、少しご紹介させていただきたいと思います。
 

「ジュリーな毎日」は、2006年の夏にスタートしました。
当初は、息子にせがまれて、澤田さんの楽曲のコード起こしをしておりまして、ついでにギター好きの皆さんにも発表したいな、間違いがあったら指摘して下さいな、というコンセプトで立ち上げたのですが、コメントをいただけるようになってからは、ジュリーファン、柴山和彦さんのファン、そして音楽好きの大阪人として、さまざまな話題を記事にしたいと思い、2006年の8月に一回目のリニューアルをし、2007年11月、URLに「アリガトーネ」が入った現在のブログに移転しました。
 

文章を書くという才能がないので、勢いだけで記事を更新してきました。
2008年の師走になった今でも、残念ながら、まったくといっていいほど文章の構成力や文法の上達はありません。
とにかく「熱さ」だけが取り柄のブログです。
 

僕は、昭和43年生まれのコテコテの大阪人。
小学生低学年の頃に、こっそり隠れてみた「悪魔のようなあいつ」で、「沢田研二」と他の歌手の見分けがつき、ドリフの番組にゲストで出演する澤田さんが好きになり、「勝手にしやがれ」が大ヒットした頃には、自他共に認める熱烈なジュリーファンになっていました。
 

「井上堯之バンド」で楽器に興味をもち、親にねだってギター教室に通いだし、「オールウェイズ」の柴山和彦さんをみて、持つべきはエレキだと気づき、「エキゾティクス」に啓示を受けたように念願のエレキを手に入れ、澤田さんにかかわる人たちの音楽や、洋楽も漁るように聴くようになりました。
 

以来、柴山さんのようなギタリストになりたいと、自らバンド活動も続け、気がつけばこの歳になってもギター手放せないカラダになってしまいました。今もBOCHI-BOCHI-BLUES-BANDという社会人バンドで、ぼちぼちギターを弾いています。柴山さんのように弾けるようになったかというと、まだまだ先は長く、永遠の課題となるでしょう。
 
 
澤田さんの応援は、僕が男ということもあり、長らくずっと孤軍奮闘の日々でしたが、息子に英才教育をほどこした結果、息子が一番のジュリ友になってしまいました。
大阪方面のライブでは、そんな親子の姿を目撃された方もいらっしゃるはずではないでしょうか。
座席が僕たち親子の後ろの方には、本当にご迷惑をおかけしております。
 

ブログを通じて、多くの同志の方々と出会いました。おかげでいろいろと教えてもらえたり、実際にお目にかかかって、旧知の間柄のように親友になれた方もいらっしゃいます。
今後もできるだけ多くの方にコメントをいただいて、様々な目線での澤田さんの魅力を語り合えることができたらいいなと願っております。
 
 
現在の目標は「ジュリーな毎日」の同志各位との「ジュリーパーティー」開催。どこかのお店を借り切って、一緒に映像をみたり、一緒に音楽を聴き、カラオケではなく僕のギターで夜通しジュリーナンバーを歌ってもらおうという仲間内でのパーティーです。
頑張ってお金を貯めなければと思っています。
 
 
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あるインタビューで
 
昨日の記事に補足というか、今日は昔のインタビュー記事をひとつ、部分的に紹介したいと思います。
「晴れのちBLUE BOY」をリリースした直後、「ザ・テレビジョン」の「夏色のアイドルたち」という特集でのインタビューだ。つまり1983年、30代半ばの澤田さんが語ったこと。
 



 アイドルの頂点に立っているっていっても年齢的にみてっていうだけでしょう(笑)今まで、こうやってこれたっていうのを、自分では苦労したとは思ってないですよ。苦労したとしても、それは当たり前のことだと思ってきたから。きっと、しんどいしんどいって思ってやってきたんだとしたら、リタイヤしていると思うんです。でも、実際には、自分にとってごく普通のことだったんだから。
 
 まぁ、レコードの売り上げにしたって、浮き沈みってものは多少はあるし、その沈んだときに、「もうエエワ」と思わなかっただけのはなしで、「まだいけるかな」と思ってやってきたら、また浮かびあがってこういうように続いているというだけでね。

 でもね、僕の今いる位置っていうのは、人と比べればいい位置なわけだから、それを維持するためには、多少のことはがんばるのが普通だと思ってやってきましたね。

(中略)

 確かに、そこまでしなくてもって言われるようなことでも、やってしまえば、簡単なことってたくさんあるんですよ。僕は、これはやってもいいなって選ぶ感覚を自分で身につけてきたということは言えますね。

(中略)

 最近の若いアイドルの子たちって自由にやってるみたいですね。萎縮して、ピリピリしているような子は、やっぱり売れてないし(笑)。
僕はいつもそういう子たちといっしょになっても、ムスーっとしているから話しにくいみたいだけど。

 僕らの時代には、よけいなことばっかりに  つまり、先輩にはちゃんとあいさつしろとか、ファンの前ではタバコ吸うなとか、まあ必要であるけれど、別になくてもいいことに、いちばんうるさく言われてきたし、だから、そんな点で、今はけっこう自由でいいね。確かに、かなわないところもたくさんありますよ。

 でも、雑誌の対談なんかでいっしょになって話をする機会があると、「先のことが不安だ」なんてよく言ってます。でも、だれでも不安ですよ、それは。ベテランといわれている人でも、中堅の人でも、明日のことはわからない。知らず知らずのうちにだんだん落ち目になってしまうってこともあるわけだし。でもそれを怖がっていてもまたしょうがない。だから「不安なら不安な分だけ一生懸命やればいいんじゃないの」、としか答えようがないんですよ。

 確かに、僕らもタイガースを解散するときは、もう二度と派手な仕事場というのはないだろうと思ったし。
 だって、実績っていうか、ビジネスの世界なわけだから、もうからなければ、首を切られて捨てられるわけで、そうしないためには、がんばらなければいけないってことでね。僕だって歌がヘタだって言われれば、一生懸命勉強しようとしてきたんです。

(中略)

 でも、最近は形式で、のっていることをみせているようで、そういうのは、僕としてはちっともうれしくない。たまに僕が思っているいい感じになるときがあって、そんなときはほんとうにうれしいけどね。

(後略)

 

このインタビューは、「一生懸命頑張ることを苦労だとはいわない」、「頑張るものを選ぶ感覚の重要性」、「不安なら不安な分だけ一生懸命やる」ということなど、すごく大切なことを語ってくれています。

先行きの不安は、自分の頑張りで払拭するしかない。
世の不景気を嘆かず、こういうときだからスキルアップに励まなきゃ。
「やってしまえば簡単なこと」だってある。
不況に強いとは、つまりそういうことなんだ。


加瀬邦彦さんのブログ、最新の記事には気になることが書いてあるではないか!
強い意志で目標に向かうこと、伝説はまだ終わらない。
 
 
| 沢田研二さんのこと | comments(2) | ブログトップ |
Hi!Hi!Hi!

ドーム公演の影響で、澤會が大変なことになっていると聞きました。
澤田さんのインフォメーションと、チケットの申し込みが主な業務内容で、しかも会費は無料だった。入会申し込みが殺到したのでしょう、新規入会ができない状態です。
 
正月コンサートのチケットも売り切れ。
喜ばしい事実と裏腹に、何だか複雑な心境なんだけど〜。
 
でもでもでも、これだけの盛り上がりですから、「ROCK'N ROLL MARCH」がチャートインしないかなと思うんですよね。
それは今までの僕たちの力では足りなかったこと。
若輩者の僕がいうのはおこがましいのですが、新旧、大勢の同志の皆さんで盛り上げていくことができたら、と願っています。
ドーム公演をみた数万人の人が力を合わせれば、難しいことではないかもしれません。
有線へのリクエストやラジオ番組へのリクエストとか、そういう盛り上がりがあれば、僕も必ず乗ります。
 
 
こんな不景気な時期に、報道もどんどん追い討ちをかけて、さらに庶民の心を暗くします。
とにかく与党が悪い、企業が悪いとネガティブな話ばかりを捲くし立てることしかできないのが真実だとしても、なぜ「どんなときでも元気出していこうぜ」っていう一言がないんだ。
自らの無力を露呈するだけのメディアよ、見通しが暗いことは国民はそれぞれの持ち場で、みんなイヤというほど知っています。暗いときに、暗い話ばかりはもうたくさん。
大切なことはどんな状況でも、折れない心だ。

こんなときに、一番元気の出るナンバーといえば、
 
 ♪ROCK'N ROLL MARCH〜Hi!Hi!Hi! 

 
 
| その他諸々 | comments(2) | ブログトップ |
ザ・ビッグOの命日
 
さて問題です。
♪出かける気持にNO! NO! なれない
 むしょうに聞きたい オーティスのアルバム
という曲がある。そのタイトルは何でしょう?


オーティス・レディング(1941年9月9日−1967年12月10日)


12月10日はザ・ビッグO、オーティスの命日なので、「ジュリーファンに分かるオーティス・レディング講座」。
まず1967年の「タイガース・オン・ステージ」、ローリング・ストーンズ・メドレーの中の「ペイン・イン・マイ・ハート」は、1964年、オーティス21歳のデビューアルバムに収録されています。その同じ年にローリング・ストーンズはThe Rolling Stones No. 2のレコーディングにかかったんですけど、逆にストーンズの「(I Can't Get No) Satisfaction」のオーティス・バージョンもあり、かなりカッコいいです。
 
 
ちなみに澤田さんのライブ「爛漫甲申演唱会」(2004年)、アンコールのSatisfactionとDay Tripperはオーティスのバージョンに近いです。
 

オーティスの魅力はそのボーカルにあります。
キレイな声でも、またとりわけ巧いシンガーでもないのですが、激情型とでも申しましょうか、全身全霊、命を削って歌っているかのように、リスナーの心をぐっと掴んで離さない。これぞまさに南部のソウル・ミュージックの王道です。
 

ザ・タイガースがデビューした1967年、オーティスは、モントレー・ポップ・フェスティバル出演。
6月17日(土)の夜の部で、「Shake」、「R-E-S-P-E-C-T」、「I've Been Loving You Too Long」、「Try A Little Tenderness」、「(I Can't Get No) Satisfaction」を歌います。この映像がまたカッコいいんです。
 
※モントレー・ポップ・フェスティバル、出演の顔ぶれがすごい。オーティス、ブッカー・T.&ザ・M.G.'sの他にも、エリック・バードン&ジ・アニマルズ、サイモン&ガーファンクル、キャンド・ヒート、アル・クーパー、ザ・バターフィールド・ブルース・バンド、スティーヴ・ミラー・バンド、バーズ、ジェファーソン・エアプレイン 、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・フー、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ママス&パパスなどなど、超豪華な顔ぶれが揃ったもんだ!
 
 
オーティスはその直後、喉にポリープが見つかり、2ヶ月間歌う事を禁じられました。
それでもオーティスはスティーブ・クロッパーとともに新しいサウンドを模索し、死の3日前に名曲「(Sittin' on) The Dock of the Bay」をレコーディングします。
 
この名曲はオフィシャルサイト(http://www.otisredding.com/)で聴けますので、ぜひ御一聴を!オーティスのボーカルもさることながら、海鳥を思わせるスティーブ・クロッパーの切ないギターがまたいいんだな、これが。
やっぱり偉大なシンガーには偉大なギタリスト、バンドはつきものです。

※他の曲はブログ右端下段の「リスペクト〜ヴェリー・ベスト・オブ・オーティス・レディング」のジャケットをクリックしていただいたら、Amazonで視聴できます。アフェリエイト広告ではありません。ただのお気に入りリストです。

 

1967年12月10日、オーティス・レデイングはバーケイズのメンバーたちと次の公演地に向かうため、自家用セスナに乗り込み、帰らぬ人となりました。
 
広大なアメリカ大陸、ミュージシャンの移動手段として飛行機が使われますが、そのために多くの偉大なミュージシャンがこの世を去ってしまったのも事実。もちろん僕たちが通常利用している旅客機のようなものではないのですが、やはり移動のリスクは大きいですね。
 

僕はこのオーティスの歌声は、ジョン・レノンのそれと同じく、とても大好きです。
心にズシンときます。
オーティス・レディングにいたっては、僕が生まれたときにはすでに故人なのですが、これほどまでにスリリングなボーカルとクールな演奏、古さや新しさなんか関係なく、いつまで経ってもいいものはいい、力強さは色あせないと教えてくれるシンガーです。
ぜひ皆さんにも興味を持っていただけると、うれしいなぁ。
 
 
| オススメのアルバム | comments(16) | ブログトップ |
ジョン・レノンの命日
 
ジョン・レノンが亡くなってから今日で28年だそうだ。


小学生の僕は、当時、誰か有名な人が銃で撃たれて、大人たちが大騒ぎしているという印象しかなかった。
ただ、そのときテレビで流れたビートルズのメロディーは耳に残った。


澤田さんの「G.S.I LOVE YOU」の頃に、ビートルズを本格的に聴いてみたくなった。
はじめて僕が買ったビートルズのアルバムは「レット・イット・ビー」、これからビートルズの4人のことを覚えようと思い、ジャケ買いしたのがコレだ。


なんだか想像していたビートルズと違った。
「レット・イット・ビー」や「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は確かに名曲の気品が漂っていたけど、きっとイメージ的には初期のビートルズサウンドを期待していたので、アテが外れたのだろう。


LPの帯の裏は、ビートルズのカタログだった。
また、いろいろと自分なりに情報を集めて、次は「オールディーズ」と「ウィズ・ザ・ビートルズ」を買った。「オールディーズ」は初期のビートルズのベスト盤のようなアルバムで、知っている曲がたくさんあった。だけど「ウィズ・ザ・ビートルズ」のほうに、ものすごい衝撃を受けた。
A面一曲目の「イット・ウォント・ビー・ロング」とB面3曲目の「ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」でぶっ飛んだのだ。・・・カッコいい。
「イット・ウォント・ビー・ロング」、途中でジョージがコーラス間違えているけど、そのままレコードになっているのもすごい!


その後、「ラバーソウル」と「フォー・セール」を買った。
「ひとりぼっちのあいつ」や「イン・マイ・ライフ」、「ノー・リプライ」や「ミスター・ムーンライト」など、気がつけば特にジョンのボーカルにたまらなく魅力を感じた。ティーンエイジャーの心をつかんで離さない何かがあったのだ。


その頃、映画「悪霊島」をはじめ、いろんなところでビートルズ・サウンドが流れ、ちょっとしたブームが起きた。友達からカセットにダビングを頼まれるようになり、僕のビートルズのLPコレクションにも拍車がかかった。ちなみに「買う」と軽々しく口にはしているが、もちろん親や親戚に買ってもらっていました。親父もビートルズが好きだったので、割りと協力的だったのを覚えています。


とにかくビートルズ・ブームだった。
ただ当時はまだ、ビートルズのキャッチーなメロディーに夢中になるのが精一杯で、今のようにマニアックな聴き方をするようになったのは、もっと後。


僕が好きなビートルズナンバー不動の第1位は、「ロックンロールvol.1」に収録されていた「アイ・コール・ユア・ネーム」。次いでシングル「ゲット・バック」B面の「ドント・レット・ミー・ダウン」。この2曲はゴタク抜きで好きだ。


僕のビートルズの公式なLP収集がほぼコンプリートという頃に、「ジョン・レノン・コレクション」を買った。もれなく1980年12月8日の朝にベッドの上でギターを持ったジョンのポスターがついてきた。そのときのギターがストラトだったか、ひょっとしたら赤いムスタングだったか、ちょっと記憶は定かでないのですが、そのポスターのジョンの表情は、笑うでもなく睨むでもなく、何だか少し特殊なオーラが出ていたような気がします。


確か高2だったと思うけど、そんなジョンの新譜がリリースされた。ラジオから「ノーバディ・トールド・ミー 」が流れ、ビートルズのアルバムだけで満足していた僕に衝撃が走った。全部、聴かなきゃ。「トゥー・ヴァージンズ」から「ミルク・アンド・ハニー」まで、そして何枚かの海賊盤。


僕はジョンのボーカルにすっかり参ってしまった。
中音域の声質を際立たせるために少しエコーを効かせた録り方、アレンジはいたってシンプルだ。でも随所に「このベースってポールっぽい」とか、「ジョージっぽいスライドギター」だとか、そんな感覚を抱かせる曲もあって、ビートルズ同様、ジョン・レノンのアルバムも何年経っても飽きがこない。
年に数回は「ビートルズ風邪」とか「ジョン・レノン熱」のようなものに罹ってしまい、無性に聴きたくなるし、その都度新たな発見もあるし、誰かと語りだしたら止まらない。


ジュリーファンとしても、澤田さんのボーカルの中に、ときどきジョン・レノンがチラっと出てくるときがあって、その瞬間に出合うのも楽しみのひとつです。
 
 
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スポーツ新聞

ドーム公演が終わって最初の土日、むっちゃ寒かった。
京セラ、東京ドームとも、全然寒くなかったでしょ。京セラはライブ直後にちょっと雨が降ったけど、東京ドームはすごくいい天気で、とても快適な天候だった。
これは偶然なのか、それとも「ジュリー日和」と呼ぶべき奇跡なのか、ドーム公演が済んだ途端、冬になった。タイミングとしては絶妙だなと思います。


さてこの土日、僕はほとんど外出せずにギターを弾いたり、スポーツ新聞の整理をして過ごしました。
スポーツ新聞は東京ドームの翌日に、息子が買いに走ってくれたのですが、今日は息子から聞いたそのときの話を記事にしたいと思います。


東京ドーム翌日、つまり12月4日。
期末テスト中の息子は通常通り学校に向かいましたが、コンビニでは売り切れていたそうで、駅の売店でスポーツ新聞各紙をごそっとまとめ買いしたそうです。親のスネかじりの高校生の身分、本当は各紙をちゃんと開いて中身を確認しながら買うほうが経済的なのですが、彼は「ジュリーに関するものには、親はこづかいの出し惜しみをしない」ということを理解しているので、高校生らしからぬまとめ買いを決行しました。


朝の通勤・通学ラッシュ時といえば、駅の売店も大忙しの時間帯。
それを高校生ごときが新聞各紙をまとめ買いとは、けっこう面倒臭い姿だと思います。会計でも普通、イラ〜っとくるものではないでしょうか。
その超多忙な売店のおばちゃんが、息子に訊ねた。


「今日はこんな風にまとめ買いしていく人が多いけど、何かあったん?最初からいつもより多い目に新聞も納品されてくるし・・・」



つまり12月4日は、売店でスポーツ新聞をまとめ買いしている人が異様に多い日だったということだ。
そして朝からこんな酔狂な買い物をする人たちといえば、今、こうして「ジュリーな毎日」の駄文にまで目を通して下さっているジュリーファンしか僕は思いつかない。


スポーツ新聞の売り上げにも貢献した「ドーム公演」。
東京近郊ならまだしも、大阪のJR阪和線の快速が停まらない津久野駅の売店で、「今日はスポーツ新聞がよく売れるのは何でやろか」とおばちゃんを不思議がらせたのも、「ドーム公演」で生まれた伝説の中の番外編として、僕は記憶にとどめておきたいと思います。

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隣人にパンチ
前回の記事のコメントの中に、「隣の人にパンチ」というのがありまして、これは一回ちゃんと記事にしておこうと思っていたので、書きます。
 

僕もしょっちゅう隣の人にパンチやエルボーを浴びせられます。
このエルボーについては、僕の石頭vs肘ということで、むしろ相手のほうがビリリと尺骨神経が痺れたのではないかと心配してしまいます。
ごめんなさいね、こんな石頭で。しかも中身が詰まっていないくせに、意味もなくでかい頭で。
 

左右の腕を交互に上げる振りがあるじゃないですか、「気になるお前」のときなど、ライブの定番ですよね。
あれは一拍目とか奇数のカウントのとき、全員で右を上げれば衝突も少ないと思います。
人間って、脳を垂直にしておこうという機能があって、腕を上げると上げたほうに頭が傾くのです。
これは買い物袋やバッグを持つときも一緒で、いつも同じほうで荷物を持つと肩が凝るのはこのためです。


腕の突き上げが左右逆な人同士、しかも脇を締めずに腕を上下させているノリノリな人と、上下運動が謙虚な人が隣り合わせてしまうと、悲劇が起こる可能性が高いのです。
これが左右が同じだと、エルボーも相手の肩止まり。いわゆる僧帽筋のあたり、肩井というツボのあたりで受けることになるので、ひょっとしたら、
「おばぁちゃん、肩叩いてあげる。うんと長生きしてね」、
「おやまぁ、この子は優しいね。それにこんなに力も強くなって・・・」などと、
コンサート会場での、ちょっとした心温まるエピソードが生まれる可能性もある。
・・・ないって!


あとは頭上での手拍子ですね。
アルファベットのカタチでいうとY→Iくらいの角度での手拍子なら大丈夫なのですが、エキサイトのあまりT→Iの人がいる。本当はこちらのほうが効率が悪い。うしろからみていると空振りしている人もいる。しかもパン!と心地よいクラップ音が出しにくいのです。ハサミでいうと毎回目一杯広げてからジョキって切るみたいなもので、切りにくいうえに疲れやすいのが難点だ。
 
 
僕もかつて、妙にハイテンションなファンの方に挟まれて、完全に制空権を奪われてしまったことがあります。これは案外恐ろしいものです。僕の目の前、10センチ先で右の人と左の人の手がぶつかるんだもん、どんなアトラクションよりインパクトがありました。


まぁライブのときは基本的には「お互いさま」なので、誰が悪いというわけではないし、ちょっと接触したくらいでは深刻な事態にはなりませんが、もしも運命の悪戯でズラが取れてしまっていて、それに気づかないままライブが終わり、帰りの地下鉄の中でガラスに映る自分の姿をみて、「自分と似た服装やけど、えらい老けたおっさんやな・・・」と勘違いしてしまうとこれは悲劇です。
そのまま家に帰ると、年老いた祖母に「連れ合いがあの世から帰ってきた、ナンマンダブー」と、一家騒然としてしまうかもしれません。
ぶつかってしまったときには、「あっ、ゴメンなさい」が大切です。


あと「ロマンスブルー」、古くは「子猫ちゃん」の振り付け、皆さんヘタですね(笑)あれはワン・ツー・スリー・フォーと頭の中でカウントして、カラダで覚えるしかないです。客席全員でマスターしたら、圧巻なんだろうな。


(以上、勢いにまかせて5分で書き上げた記事です)
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