なので一枚のドーナツ盤を買うと、元を取るべく、繰り返し何度も聴いた。ジャケットとその裏の歌詞を穴が空くほど眺め、歌メロを覚え、それだけでは飽き足らず、バックの演奏もじっくり聴いて、スピーカーから流れてくるものすべてを覚えた。楽器には詳しくなかったので、その音をどんな楽器が鳴らしているのか分からないまま、アンサンブルの旋律を楽しんだ。
きっかけはたぶんゴダイゴの「モンキーマジック」。歌詞を見ても横文字なんてチンプンカンプンだったから、サビ以外はタケカワさんと一緒に歌えない。なので歌メロと伴奏をひとつのものとして捉えるしかなく、ファンキーなビートとベースライン、カッティングギターの中で、ミッキー吉野さんのキーボードが縦横無尽に動き回っていて、まるで石からサルが生まれて、さまざまな術を身につけ、最後は筋斗雲に乗って飛び去ってゆくさまを感じ取り、音楽って凄いんだなと感じた。
「銀河鉄道999」でも、ゴダイゴの演奏は、発車していく車両、車輪の力強さや遮断機が降りた線路を疾走していくイメージを抱かせてくれた。僕は次第にそんなプログレッシヴロックな聴き方を楽しむようになった。
またYMOの登場も大きくて、「なんでこの音のチョイスでこんなフレーズ?」という課題をもって音楽を聴く習慣がつくと、僕が出会って気にいるすべての音楽には、無駄な音がないことに気づいた。
それが思春期を迎えて、いろいろと異性にムフフでアハーンな興味を抱いたとき、僕の琴線に触れるサウンドは「エロ」だということに行き着いてしまう。
僕の場合、やはりエレキギターの音色にいちばん興味を持つんだけど、フィードバックとかチョーキングとかプリングとかピックスクラッチとか、さまざまなギタープレイの技法がまるで、Hモードな女性の官能ヴォイスに聴こえるという変な病(笑)でも、それはある意味正解だ。
マディ•ウォーターズのスライドギターも、ジミヘンのイカれたギターソロも、マイケル•シェンカーやゲイリー•ムーアの泣きのギターも、ランディ•ローズやエディ•ヴァン•ヘイレンのトリッキーなプレイも、とんでもなく官能的だ。
そんな風に音楽を聴いていると、重箱の隅を突くように「この曲は洋楽のこの部分をパクっている」という粗探しに執着しすぎる解説はつまらない。「時系列」が無視されていることも多いし、やはり実体験に基づいていない人はその手のミスをよくやらかす(笑)
それよりも、楽曲のすべての音に包まれ、演者が何をイメージしながら弾いているのか、想像を膨らまして聴く方が愉しくて健全。プロのミュージシャンの表現力をリスペクトしながら。
バブルという乱痴気な時代。アメリカのロックフェラーセンターや映画会社を日本の企業が買い、世の中が「踊るポンポコリン」だった。
僕はバブルの恩恵などとは無縁の貧乏学生生活•••がイヤで、数ヶ月の間、東京の不動産屋で金持ち相手の賃貸マンションを売ってました。山手線沿いのマンションのワンルームが数億円、欲に駆られてフロア買いした高額納税者たちは、その後無事だったんだろうか。
で、大阪に帰ってきて、鍼灸学校に復学したんだけど、これがまったく馴染まない。スーツ姿で毎朝満員の山手線に揺られ、アポを取った顧客と面談して、節税対策の計算や物件の内見や契約に立ち会ったりしてると、鍼灸学生の既定路線だった裏口進路とか不正請求のために、たかが柔整師ごときに媚びる生き方がしょーもなくて醜くて、友人たちと距離が開いた。
さて、そんな激動の僕の耳に飛び込んできた「世界はUp &Fall」!
この曲はすごく尖っていた。僕の脳内でかつて東京上空を俯瞰していたパラシュートの男とダブってしまう。
タイトルどおり、曲の展開は目まぐるしく変わる。ギターコードの中でもとりわけヘビーなEmがガツンと攻めてくるあたり、さらにディストーションとコーラスの効いたDsus7が見事にスピード感を醸し出す。
この曲の間奏でボコーダーを介して言ってるコトバ。「rule of power 」なのか「rule of tower 」なのか、僕には正確に聴き取れないけど、そのあとに「kiss my ass!」と言っているのは分かる。英語が苦手でも悪口やスラングだけは分かるパンクな僕が解釈するところ、権力や富の支配に対して、かなり下品なコトバで「ふざけんな!」と言っているのだ。
乱立するガラス張りエレベーターのビル群は、まるで世界全体を包む乱高下の激しいパワーバランス。上昇志向はありつつも、同時にその危うさにも勘づいている主人公。近未来的ではあるが同時にしっかりとシニカルで現実的だ。
そして男はかつて「安らぎ知らない遊園地」を真っ赤に燃え上がらせたように、この曲のラストでも花火を準備している。
今にして思えば、バブル期のジュリーの楽曲は、それを憂いているものが多い。「Muda」のように逆手に取ったケースもあるんだけど、歌の内容よりも現実のほうが常軌を逸していて、さすがのジュリーも試行錯誤すれど、イマイチ傾奇(かぶき)きれなかった感も否めない。
イカ天に端を発する「バンドブーム」では、ジュリーの代表曲のひとつでもある「TOKIO」ですら、残酷な蹂躙を受けた。だからこそ「世界はUp &Fall」は生まれたのではと考えるのは、妄想が過ぎるだろうか。
カスでもゴミクズでもラッピングしだいでは何でも売れることへの反発。当時の吉田建さんの動きは、泉谷しげるのLOSER、そしてジュリーのJAZZMASTERで、ホンモノのホンモノによるホンモノを生ぬるい世俗に叩きつけるようで、僕はその天晴れな仕事に深い敬意を抱いた。
吉田建さんとのタッグには、ファンですら戦慄をおぼえるほどのジュリーの底力がある。傾奇き、弾けて、精力的に学園祭ライブをまわり、これぞROCKだというライブを体現した。
僕は「世界はUp &Fall」に、そんな反撃の狼煙に似た強い意気込みを感じ、何かの理不尽に立ち向かわなければならないとき、僕はいまだにこの曲にすごく元気をもらっています。
]]>上着を脱いで、痒みの一点に集中し、いろんなポーズをとりながら手を伸ばすんだけど、あと数センチ、酷いときには数ミリの位置で、町娘にインネンをつけているところ、通りすがりの杉良太郎に腕を捻りあげられた時代劇のチンピラみたいに、肩の付け根が「イテテ•••」となって「ちくしょう、覚えていやがれ!」と吐き捨てたくなってしまう。
血が滲むくらいボリボリと掻きむしったらどんなにか気持ちいいだろう。年々、柔軟性が無くなっていく自分のカラダが恨めしい。自分の腕の守備範囲が佐藤テル並みになっていくのを感じて寂しくなってしまう。あと数センチで届くのに、辿り着けないもどかしさ。人生の縮図的な悲しみを感じてしまう。
百均で買ってきた孫の手はやたらと冷たいし、誰かに掻いてもらっても的外れだったり、強さが物足りなくて、余計に心が騒がしくなる。
じゃあ、痒みはずっとそのままかと問われるとそうでもなく、案外、何か他の用事をしているうちにすっかり忘れてしまっている。あんなに大騒ぎしていたものは一体何だったのか?だけどそれを思い出した途端また痒くなる。波のように寄せては返す「背中の痒みブルース」。だから厚着とヒートテックの肌着は嫌いだ。早く暖かくなればいいのに。
]]>
いいジャケは見飽きない。それは芸術作品のように心を虜にする。ちなみにジュリーの「LOVE〜」、「STRIPPER」、「架空のオペラ」は僕の「神棚に飾りたいジュリー三大アルバムジャケ」です。
いいジャケットのレコードにハズレはない。中身が素晴らしいからジャケまでよく見えるという逆の現象もあると思うが、ネットという情報源がなく、お小遣いに乏しかった若かりし僕が、数多くの名盤たちと巡り会えてこれたのは、「帯」に書かれたキャッチフレーズなどアテにせず、自分の「感性」を信じて選んだ「ジャケ買い」の成功率が極めて高かったからだ。
それではここで特定のバンドやアーティストのレコードを複数枚から選ぶとき(いまさらあるのか?)に失敗しないコツをいくつか紹介したいと思う。気に入ればコンプリートしたいんだけど、まずどれから買うか迷ったとき、とりあえずベスト盤から買ってみるなど愚の骨頂。名盤と出会えたときの喜びを味わいたいなら、オリジナルの主張に耳を傾けるべき。
?なるべく突拍子のないもの、ぶっ飛んでいるものを選べ。特にハードロック、メタル系はとにかくジャケがぶっ飛んでいれば名盤。
?お下品、お下劣なジャケはたいてい名盤。レジで店員に差し出すときの恥ずかしさや後ろめたさは快感。
?顔面どアップジャケに駄作なし。迷ったらコレ。ソロアーティストのアルバムは顔のサイズで選んでおけば間違いない。
?「なんでこーなるの?!」というダサさは侮れない。思わぬ名盤が隠れている。
具体的にそれぞれのレコードを紹介しようと思ったけど、興味のある方はぜひご自身でご所有のレコードに当てはめて考えてみて欲しい。名盤だと思える中にこの4種類はあるはずだ。
•••ということで、この記事は続編をお待ち下さい。
僕の場合はブログなので、「これを聴いたとき自分はどんな場面にいて、どんな衝撃を受けた」と実体験を語るほうが面白いと信じて疑わない。それを上手く表現できればと、低い知能、拙い文才、少ないボキャブラリーを駆使していつも四苦八苦&空回りしているんですがね、この「ジュリーな毎日」は(笑)
カッコよくいえば、いわゆる5W1Hの思考整理に基づいて記事が書ければ理想的なんだけど、頭が良くないうえに人間性がアホアホだからなぁ、僕は。
でも生意気を云わせてもらえば、自分の人生をしっかり生きて、その中で魂を揺さぶられないと、音楽は自分の一部にならない。自分の「場面」がその音楽に彩られることがいちばんの値打ちだと思うんです。
音楽を聴いていて、無性にボリュームを上げたくなったときの感性こそが大切。ロックとは本来そういうものなんです。歳を重ねれば人間は丸くなるものですが、どこか尖ってないと簡単には引っ掛かってくれなくなり、リマスター盤の音質とか75歳の老化現象ばかり気にするようなクソくだらない聴き方しかできなくなる。
つまり反骨精神、反体制のスピリットはいつまでも大事だということ。オマケに貧乏と不満と不安と理不尽が常に傍にいて、「悠々自適」には程遠い暮らしの中で、我が家のステレオのスピーカーはいつもフル稼働。もしも何かの手違いで「悠々自適な暮らし」が訪れたときには「ジュリーな毎日」などやめて、「お経」のカセットもしくは「幸せなら手を叩こう」だけを聴きます。•••それは逆に地獄やん。
また「怒り」だけじゃなく、「missing」あるいは「loosing」というのかな、そういう感情も音楽のボリュームを上げさせる。キャラ的に違うのでそっち系の記事を書く予定はないけど。
世間一般ではよく「思い出の名曲」なんてカテゴライズされるけど、いまをしっかり生きている人にとっては、音楽に古いも新しいもないのです。昭和何年の曲であろうが、現在進行形で魂を揺さぶる曲がベストなんだと思うし、そんな音楽に出会えば、誰しも叫んだり語りたくもなる。現にいまザ•タイガースを聴いて「うおー」と興奮している若者が僕の身近にいるし。あとは若者本人がしっかり「自分」を生きてくれれば。
と、こうやってあらためて自分のスタンスを記しておけば、今後の記事の更新も容易になるはず。同じ曲についての記事だって、僕が聴き続ける限り、現在進行形で新たに幾つでも書き続けることができるからね。つまりネタ切れは絶対にないということ。問題は僕の根気と集中力と文才だけです。
]]>《「苗字で危機一髪」の続き》
奥野くんが「映画の友」という雑誌を推したおかげで、僕のニックネームが「エロ本」になることは無事に回避できた。しかし肝心の「映画の友」の中身がどんなものか知らなかった僕は、後日わざわざ離れた町の本屋に確認しに行った。
こいつは劇薬だった。「映画の友」を手に取ったことにより、僕の興味は成人映画一色になってしまったのだ。いままではHな映画館の看板やポスターはさりげなく横目で眺めるだけだったのに、この雑誌のせいで、成人映画や女優の情報が、黒船来航や文明開化くらいの勢いで大量に飛び込んできた。
その頃はまだHなビデオもない時代。大人になったら「11PMのテレビクルー」になりたいという夢を抱くほど、「動く裸女」に憧れていた僕にとって、成人映画はまさに夢の到達点だった。
寝ても覚めても四六時中、脳裏に作品タイトルと主演女優の名前が次々と浮かんでくる。これは自分でもさすがにヤバいと感じたので、エロ同志であるFに思いを打ち明け、一緒に観に行くことにした。
障壁は中2にしてすでにオッサンの風格を帯びているFに比べ、僕の見た目があまりにも中学生すぎるという点。成人映画には年齢制限があるため、まずは成人に変装しなければならないけど、僕の私服はサーフィンブームに乗じてBOLTのトレーナーが一張羅だったので問題外。
どうすればオッサンに見えるか思案の結果、ポマードをネトネト塗りたくって毛髪を頭皮にペタペタはりつけ、Fのお爺ちゃんの千鳥格子のブレザーと農作業ズボン、ラクダの肌着を借りることにしたのだが、これで眼帯でもすれば丹下段平である。
さすがに余計に怪しいということで変装を諦めたが、3年生に「ピンク界の聖子ちゃん」として有名な寺島まゆみさんの熱烈なファンがいる噂を聞きつけ、勇気を振り絞りコンタクトを取ってみると、先輩曰く「映画館はさりげなく通れば余裕」ということらしい。生徒手帳を見せるわけにもいかないから学割は使えないゾと言われたが、そのくらいは最初から分かっている。
かくして僕とFは、ある土曜日の昼過ぎ、千日前にあるガラガラの映画館で、念願の成人映画との対面を果たした。
のだが•••。
たまたま豪華3本立ての作品たちが良くなかったのか、あっけらかんとした濡れ場シーンには、妄想していた隠微さや妖艶さを感じられず、これなら土曜日ワイド劇場のオープニングのほうが想像力がムラムラ掻き立てられてヤラシイと感じた。
Fも「俺は漫画のほうがええ」と言っていたが、やはりエロは「現物」と「想像力」の両軸で成立するもので、情報量が多く、想像の余地のない映像は、よほど登場人物に感情移入しない限り、素人には思いのほか退屈なものなんだと、肩を落として帰った。ワイワイ騒ぎながら観れたら楽しかったかも知れないけど。
数日後、Fの部屋でエロ本を眺めていて、「おい、このページ上下に動かしたら、胸が揺れているように見えるぞ!」、「お〜ホンマや!揺れてるわ!」というアホな会話に戻ったとき、自分でも何か憑き物が落ちたような気がした。
]]>
まあ反抗期ですわな。まわりもヤンチャを通り越してヤバい奴らが多かった。荒れてた時代ですからね。だけど僕は粗暴なだけよりも、知的で根明なワルでいたかったので、やりたくない受験勉強の代わりに、たくさん本を読んだ。
いろいろな矛盾に気づいた僕は大人たちに逆らって、毒づいて、言い負かしてやりたかったんだけど、大人は常に「頭ごなし」だった。僕の言い分には耳を貸さず、自分たちこそ全知全能だと言わんばかりに威張っていた。それがさらに愚かで哀れに見え、より小馬鹿にする対象となった。
また色気づいた僕には、好きな女の子がたくさんいた。ふだん一緒に悪さをしているブルーベリーガムの口臭がする子たちではなく、おとなしくて真面目な子と仲良くなりたかったけど、話しかけるキッカケも共通の話題もなく、ただ「女の子雑誌」に載っているジュリーの切り抜きをせがむだけだった。
つまりいくら読書をしたところで、僕の口から発せられる言葉は、いつもガサツなバカ話と悪態だけだった。本当は本から学んだことを饒舌に話したり、いろんな人たちと「会話」がしたかったのに、残念ながら僕はそんな柄ではなかったのだ。自分が空回りしていることに気づいているのに、軌道修正できないもどかしさが余計に苛立たせる。
「晴れのちBLUE BOY」と出会ったのは、僕がそんなフラストレーションを抱えていたときだった。ジャケットはまるで上官の命令を放棄した不機嫌な不良分隊に見えた。
邦楽では馴染みのなかったジャングルビートと旋律、エイドリアン•ブリューのようなエレファント•トークギター、僕の耳はすっかり釘づけになり、鼓動が高まった。
♪言いたいことはヤシの実の中
言いたいことはヤシの実の中
僕は花火よりひとりぼっち
はじめて聴いたとき、全身の毛が逆立ち、意味もなく「ワー!」と叫び出したいような、そこら中を走り回りたいような不思議な感覚に襲われた。
「これ、オレの歌やん!」
もちろんそんなわけはないのだが、剣道で面打ちをキレイに決められ、目から火花が散り、脳天にツーンとくるような衝撃に似ている。自分が直面していた悩みが、たった三行の歌詞によって打ち抜かれたのだから。
元々、「BLUE BOY」というコトバは、すでに佐野元春の「DOWN TOWN BOY」の歌詞で馴染みがあった。こちらは「愛を失いそうだと焦りながら、深夜映画館の前でその夜最後のナンパを試みるくわえタバコの少年」というリアルな設定だ。
しかし「晴れのちBLUE BOY」は、作詞者の銀色夏生と作曲者の大沢誉志幸がぶっ飛んでいるし、アレンジの大村雅朗はさらにぶっ飛んでおり、EXOTICSの演奏、そしてボーカルの不良分隊長はとんでもなくぶっ飛んでいる。この皆さんのぶっ飛び具合が痛快で心地良かった。何か新しいことがやってくるポジティブな予感、光が差してきた。
歌謡曲としてはあまりにもイカれ過ぎている。音楽性や歌詞の内容は一般リスナーに理解されるか?僕個人は勝手に鼻水が垂れてしまうほど大歓迎でお気に入りだけど、ピンク色のスヌーピーを腰からぶら下げて、こんなに暴れ回っても平気か?「沢田研二ショー」では小森のおばちゃまも大興奮。そして83年大晦日のパフォーマンスは伝説になった。
「晴れのちBLUE BOY」はいまでも僕をヤンチャな気分にさせてくれる。もっとも僕はすでにBLUE BOYではなく、「生きることに青息吐息のおっさん」と化してしまったけど、この曲はいつでも僕を15歳に戻してくれる。体型と髪の量も戻れたらもっといいのに。
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基本的に僕のクジ運は最悪なのだが、今回は息子や嫁もアウト。ふだんはチケットのみならず、いろんな商品の抽選にも当たる強運の母子なのに•••。
一般販売にチャンスを賭け、それでダメならリセールサイトを利用するしかないのだが、「確定」ではない隈ぐましさ、心地の悪さは、自分でも信じられない重圧となって、夜毎寝汗びっしょりでうなされるしまつ。全然落ち着かない。
どこか遠方のチケットなら、そうでもないかも知れないけど、基本、遠征をしない僕にとって「自分のホームグラウンドのライブに行けないかも」と考えてしまうと、やはり焦ってしまう。あの2回連続バルコニー席ゲットの快挙はどうしたんだ?
だけどこれまでは、たまたま偶然に運が良かっただけの話。やはりいまの僕と同じように、落ち着かないファンの方も毎回たくさんいらっしゃるのだろう、無視してごめんね。
いまは自分のことを、仕官の道を断たれた「チケット浪人吉本臣ノ介」と名乗り、身をやつしながら、北向きのあばら長屋で傘張りをしているような気分。
今日、ふと考えたんだけど、いまの僕がイライラ中なことに気づいている人が周囲に誰もいない不思議。世の中ってこんな風に成り立っているのだろうけど、僕がカチンときてしまったときに、「あのときの僕はカリカリしていたものでつい•••」という証拠を残しておくために、この文章をアップしておくことにした(笑)
]]>
そう、それがライブ(生)である。
モニターもなく、歌詞も見ずに、動き回って歌うのは超人的なんだぞ。そりゃ調子の良くないときもあるだろう。椅子に座って、耳にモニター差して、バンドの音量も控えめにして、歌詞を見ながら歌うか、口パクでも満足か?
仮に残念なライブだったとしても、そのときは一人で酒でも飲んで寝ればいい。わざわざ吹聴してどないすんねん。お前はナニ様やねんって話になりませんか?
いつも完璧なものを求める人は、自宅でDVDを見てればよろし。特に昔の映像は、コチラ側の著しい劣化を除いて何も裏切りませんから。
今回の記事にわざわざ過敏に反応するのがアホらしい。しかし溜飲は下げたいですよね。さあみんなで失笑し、こんな記事を載せてメシを喰らう週刊誌を蔑んでやりましょう。
「ウルトラセブン」は永遠のヒーロー、越後製菓の「サラダセブン」はビールのツマミに最適。それにひきかえ、「女性ナントカ」はいただけませんね。紙媒体なんて環境破壊。恵方巻きと同じくらいSDGSに反している(蛇足だがメディアはどうして神事でもないトチ狂ったカルト新興迷信を煽るのだろう)。
そのうえ記事の内容が不愉快ときたら、もう存在意義すら分からない。転売ヤー以外、誰も買わなければいいのに。
まあ、この話題が拡がって、あいつらが「ダメだこりゃ」とチケット争奪戦から撤退していけば幸いだ。
僕はご本人がぶっ倒れるまでライブに付き合う。でもまだまだ大丈夫。ローリングストーンズやポール•マッカートニーのアクティブさを、あの「負けず嫌い王」が見過ごすはずがない。あのお方は心無い者に叩かれたあとが神がかって凄いのだ。だからこれからがますますロックだ。
しかし「吉本興業」なんて序の口。デリケートな年頃に、自分の苗字が大キライになってしまいそうな揶揄われ方があったのです。
それは中2のある日の出来事でした。よりによって国語教師の口から出たその一言は、いまなら一歩間違えればイジメや登校拒否に繋がる可能性さえあると思いますが、学校が嫌いにならなかった自分のアホさとクラスメイトの単細胞っぷりに感謝です。
その日、僕は日直でした。授業開始時に、「起立、礼、着席」の号令を発するのは日直の役目だったのですが、休み時間のたびに躍起になって各クラス(上級生のクラスでも臆することなく)をまわってジュリーの新曲キャンペーンと切り抜き回収に勤しんでいた僕は、チャイムから遅れて教室に戻り、うっかり号令をかける役目を忘れていました。
国語教師は「え〜っと、今日の日直は•••」と黒板の右端、日付と曜日の下に書かれた日直の名前をゆっくりと覗き込み、「•••おい、エロ本って誰や?」と、おそらくその教師のネタなんだろうけど、「吉」の部分を「士」と「口」に分割して、縦書きの「吉本」を「エロ本」と読んだのです、
「エロ」には過敏なお年頃ですからね。クラス中が大爆笑。友人たちが僕を指さして「エロ本!エロ本!」とコールがはじまり、ついには歌舞伎観劇の「◯◯屋!」みたいに、「エロトピア!」とか「GORO!」、「スコラ!」などと口々に商品名を挙げ出すしまつ。バカでしょ、みんな。隣のブリっ子が、汚いものでも見るような顔を僕に向けて「イヤ〜!」と呟いた。
ちょうど思春期をこじらせて色気づきだした僕は、こっち方面でイジられるのだけは非常にマズイ。中身はエロ探究の権化、いわゆる「ムッツリ」のくせに、女子の前では猫をかぶってサラサラヘアーの爽やかな好青年を無理して演じている努力が台無しです。
友人たちが「平凡パンチ!」、「プレイボーイ!」、「アクションカメラ!」などと、赤面している僕を揶揄う中、普段は目立たない奥野くんが、声変わりもしていないよく通る声で、「映画の友!」と発した途端、一瞬の静寂。男子生徒全員が「•••ん?」。
ひと呼吸おいて一斉に「それはちゃうやろ!」とツッコミの嵐。「映画の友」ですからね、タナカの「旅行の友」と同じく、家族向けの健全なものに決まっている。矛先が「僕」から「奥野くん発言」にチェンジしたことで、イジメの危機を逃れることができました。
後日、本屋で「映画の友」のページを巡ってみると、あまりのエロさに思わず一冊買ってしまいました。確かに日本で公開される邦画の本数は「角川」よりも「にっかつ」。「水のないプール」がどんな内容なのかも、「映画の友」は詳しく教えてくれました。声変わりもしていない奥野くん、侮りがたし。
↑「水のないプール」公開時、先輩方は観に行かれましたか?女性には少し抵抗があったと思いますが、よければどなたか「思い出話」など教えてください。
次回作「吉本くん映画の友を片手に成人映画に行く」に乞うご期待!(嘘)
]]>相変わらずコロナやインフルも検査陽性率はかなり高く、僕が出向しているクリニックでは百発百中の日もあります。
過敏になりすぎなくてもいいのだろうけど、あまりに無警戒で無神経な人が多いせいで、休みの日などは外出するのが恐怖になり、自宅に篭って好きなレコードをかけながら、プラモデルを作っています。
久々のプラモ復帰なんですが、ずいぶんと業界の雰囲気が変わりました。昔は人づきあいが不得手な男子の世界というか、プラモが趣味の友人タカッチがそういうタイプだったので、僕の偏見かもしれない。
ところが近頃は陽キャの可愛らしい女子たちがプラモのYouTubeチャンネルを開設していて、彼女たちの動画をすごく参考にさせてもらっています。華やかな若い女の子モデラーの解説は、飽き性のおっさんのモチベーションを顕著に上げてくれます。
プラモ復帰のキッカケは、「ゴジラ-1.0」であの幻の戦闘機を見たから。子供の頃からの旧日本軍戦闘機マニアの血が再沸騰。
必要な用具や塗料、溶剤も揃えた。最近は百均でも優れものが出ているので財布にも優しい。分からないことはYouTubeやネットですべての情報収集が可能。プラモデル本体もAmazonで探せば欲しいものが見つかる。
これほど有利な環境下なので、さぞかし立派な作品が作れるだろうと思いきや、老眼がこんなにハンデになろうとは•••。
メガネ型のルーペ着用でなんとか作業はできるけど、どうやら我が家には異世界に繋がるポイントでも存在しているらしく、ときどき細かい部品が姿を消す不可解な現象が起こり、なぜか数日経ってから上着のポケットから出てきたり、足の裏に張りついていたりする謎。
接着剤を塗った覚えのないところがくっつき、繊細な作業とか細筆で色塗りをすると病気か?というほど手が震えるし、溶剤の臭いは嫁をキレさせ、かといって換気すると必要以上に寒がられる。
1300円のハセガワ1/48局地戦闘機「震電」は、同じものをふたつ作った。1機目より2機目のほうが上手にできたけど、失敗したところや気に食わない点が多々あって、たぶん3機目はもっと綺麗に作れると思うけど、何が自分をそう掻き立てるのか。
まあこれで止めれば揃えた塗料の残りが無駄になるんで、同じ配色のプラモデルを作り続けなければなりません。まずは飾るスペースを確保しなくちゃ。
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難しいとは分かっていても、コトバや文章で発しておくほうが、ただ黙っているよりかはマシだろうと、あえて書いてみることにします。
それは•••。
令和版の「JULIE SONG CALENDAR」が出たら卒倒するくらい興奮するんだけどなぁという願望です。
「JULIE SONG CALENDAR」そのものが「夜は気ままに」の番組内企画だから、実現なんて夢のまた夢なんだということは重々承知の上なんだけど、前作で詞を提供してくれた皆さんや、ジュリーをリスペクトしている著名な女性陣による歌詞にジュリーが曲をつけ、ジュリー温故のアレンジャー達が編曲を担当したら、凄すぎるものができるのではないだろうか。
昨年、僕はストーンズのニューアルバムを聴いて、やはりジュリーにもルーツを辿るような力強いニューアルバムを出して欲しいと強く思ったのです。
確かにいまのオーディエンスは、昔のヒット曲だけ歌って欲しいと願う人たちの比率が高いかも知れませんが、そうではないファンもここにいるってこと。
そりゃ僕でも、いままであまり関心がなかった人のステージを観ることになれば、知ってる曲を演奏して欲しいのが心情。それはよく分かります。
デイサービスでの歌モノの催し物は、誰が歌おうが坂本九と裕次郎ナンバーがテッパンだし、海外に目を向けても、どうせ代表曲しか求められないから新譜はもう出さないと決めたバンドもあります。需要と供給のバランスを考えれば、高齢者がユーザーになれば、これは致し方がないのは分かるんですけどね•••。
だけど55歳、今なお現役バリバリの音楽好きとしては、やはり新譜を聴くドキドキ感を味わいたいのです。新曲を聴くスリルや喜びは、何にも変え難いものがある。それがジュリーの新譜なら尚更だ。生意気にもアレコレ言いたいし、歌詞や振り付けも覚えたいし、悩みながらギターパートをコピーしたい。
先輩の皆さんは、はじめて聴くCDやレコードを再生するときの気持ちなんか、もう忘れてしまったのでしょう。それぞれの人生が大変だもの。
しかし、宝物のように大事にレコードを小脇に抱えて家路に着く気分、レコードをターンテーブルに載せ、背筋を伸ばして最初の音を聴くまでのピリピリした緊張感や、ジャケや歌詞カード、クレジット、オマケのポスターを何度も眺める高揚感って、生きとし生けるもの、YouTubeで他人の無責任な意見に同調するより重要だぞ。
ともかくライブは別として、僕はこうやってジュリーと対話してきたし、こういう音楽との出会いの中毒者なんですわ、僕は。
令和版「JULIE SONG CALENDAR」が無理でも、どうか「新曲」をお願いします。いままでジュリーが新曲を出すたび、どんな歌なのか、どんな衣装で演るのか、ずっとずっと気にしてきた「少数派」の気持ちというのも、ぜひ汲んで欲しいと願う今日この頃なのであります。
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アルバムそのものが僕に佐野元春さんや伊藤銀次さんを知るきっかけを与えてくれた作品だし、そこからどんどん僕の世界が広がっていった、いわば僕のスタートラインと呼べるスペシャルなLP。ひとりの少年の人生を変えたんだから、すごいことだ。
楽曲もアレンジもカッコよくて痺れるんだけど、正直いうと中学生には歌詞がイマイチよく分からなかった。「虚栄心工場」って一体なんやねん(笑)実際にあちこちの町工場の看板を眺めては「Vanity」を製作している「Factory」を探しまわりましたよ、アホな僕は。
結局、「Factory」というのが比喩だということに気づくまでに、どれほどの歳月を費やしたことか。途中、ARBの「ファクトリー」という生々しい曲にも影響を受けたことによって、余計に混乱してしまった僕。
まあ、比喩ですわな(笑)街のいたるところで世相の「自惚れ」や「思い上がり」が生産ラインに乗ったくらいの勢いで日々増産されていく状況。それは「間の抜けた街のジャズに合わせてリズムを取るような行為」だったりするのだけど、そんなのはもうやめだと主人公は主張する。
佐野元春ファンとして述べると、佐野さんの創作手法のひとつに、言葉遊びをしながら街を俯瞰しつつ、目線はけっこう鋭くシニカルというものがある。
2ndアルバム「HEART BEAT」収録の「It‘ Alright」という曲が言葉遊びの代表曲に挙げられるんだけど、実はこの「It‘ Alright」 こそが「The Vanity Factory」と対を成しているのではないかと僕は勝手に妄想するようになった。ここでは歌詞は割愛しますが、皆さんも機会があればぜひこの2曲を聴き比べて似ている点を探してみて。
ただ「It‘ Alright」は肯定で、「The Vanity Factory」は否定。これが何を差すのか?ピアノのソロから滑りだしたマッコイ•タイナーのナンバーの意味と同じくらい、未熟な僕にはまだ分からないけど、バカボンのパパならきっとこう言うだろう。「これでいいのだ」と。
今回の記事を要約すれば、「The Vanity Factory」には「It‘ Alright」という兄弟曲があるよ、というあまり誰も得をしないお話でした。
しかし僕はきっといまもジュリーと佐野さんは相思相愛、お互いをリスペクトし合っていると思っていて、難しいんだろうけど、いつか再びタッグを組んで楽曲を発表してもらいたいのです。「耒タルベキ素敵」の制作時、どうして佐野さんに楽曲の依頼をしなかったのか、あるいはなぜ実現しなかったのか。
「The Vanity Factory」や「彼女はデリケート」を一緒に演るおふたりの姿が見てみたい。そんな願望を込めて、この記事をアップしました。
いきなり人のヘッドフォンの片方をひったくっておいて、このアマ、何を言い出しやがる。そりゃ確かに周囲に「憂歌団」に酔いしれている高校生なんていなかったけど、不躾にも程がある。
彼女が下敷きにリマールやワムの切り抜きを挟んでいるのは知っていた。洋楽っていったって、所詮はビジュアル最優先の流行りモンだけだろう。僕が内外の音楽に詳しいことを聞きつけ、席替えで隣合わせたことを幸いに、マウントを取りに来た自称音楽好きの女。
やたらと「アレの新曲はもう聴いた?」なんて挑戦的な態度を取る。「お前が興味を持つものなんかハナから関心がない」と応えたところで、「何ムキになってんの〜」と鉄壁の防御力をみせられたときには返す言葉すらない。
僕は心の中で、彼女のことを「ベストヒットUSA女」とか「ミュージックライフ女」と呼んでいた。ミーハーな彼女のネタ元なんて、大抵このふたつだったからだ。
そもそも僕はその頃、リアルタイムなトレンドを追うより、80年代前半、70年代、60年代に遡ることに夢中だった。どうせ新しいものは放っておいてもあちこちで自然に耳に入るし、よほどの話題作ならば誰かにレコードやカセットをダビングしてもらえばいいだけの話だった。
そんなウザい彼女からの挑戦をかわしつつ無事に高校を卒業し、成人し、やがて僕も人の親になった。
あるときゴールデンウイークでごった返している泉南のオークワに買い物に出掛けたら、店内でキャラクターショーが開催されているのに出くわした。せっかくだからと僕も幼い息子を肩車して客席の後ろに立った。
「♪アンパンマンはキミだ〜」
と2人組のアイドルが歌っており、着ぐるみが後ろで踊っている。客席の子供たちは大喜びでヨダレを垂れ流しながら、一緒に踊ったり歌ったり、会場は熱狂の渦に包まれる。
ふと客席の最前列を見ると、子供そっちのけで、拳を突き上げながら、ノリノリで踊っているファンキーなお母さんがいるではないか。明らかに他の親より浮いている。どこかの密林でスピリチュアルな踊りに興じる先住民のトランス状態のように、一心不乱にお尻を振り続けており、もはや「解脱」の域に達しているといっても過言ではない。
•••あいつだった。
僕の脳裏にあのときの、
「あっゴメ〜ン、アタシって洋楽しかノレない女なの」
という言葉が浮かんできた。
「洋楽ちゃうやん!」
と文句のひとつも言ってやりたかったけど、彼女のあまりの変わりように圧倒されてしまい、気づかれないうちにその場をあとにした。
チクショー、それにしてもいいノリしてたぜ。
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この映画が公開されたのは、僕が小学4年生の頃。ストーリー、メカニック、戦闘の描写、音楽、主題歌、どれをとっても他のアニメとは一線を画すクオリティの高さとリアリティに打ちのめされ、この作品の虜になった。
ところが元々、初代「宇宙戦艦ヤマト」であるテレビ版は、視聴者である子供達から不評だったため、打ち切り決定となり、途中から内容を端折って放送されるという悲しい過去を引きずっていた。
とにかくストーリーまでワープさせたせいで、印象的な「地球滅亡まであと◯◯◯日」というカウントダウンは曖昧になり、最後に主人公のお兄さんが出てきても「?」と意味が分からなかったし、デスラー総統は途中から顔色が悪くなるし、腑に落ちない作品であることは確かだ。
しかし劇中に出てくる「ワープ」とか「波動砲」、また沖田艦長の「地球か•••何もかも皆なつかしい」というセリフなどのインパクトは絶大で、SFアニメの金字塔を打ち立てていた。
そこへ続編が映画化、しかも「さらば」と銘打っているし、その後、大人の事情で都合よく何度もよみがえることになるなんて当時は誰も予測できなかったから、「これは絶対に観ておかなければ」と焦燥感に駆られた。
その期待は裏切られることはなかった。金太郎飴のようにどこを切っても日本人好みするストーリーと、絶望を抱かされる展開は、100点満点で200点の作品だったし、エンディングの「ヤマトより愛をこめて」に涙した人も多かったのではないだろうか。
この作品のヒットによって、不評だった前作まで再注目されるようになった。逆に続編が出るたびヤマトの評価は右肩下がりになっていったので、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」では、「さらば宇宙戦艦ヤマト」が最初にして最大のピークである。
近年になって「宇宙戦艦ヤマト2202」としてストーリーやメカニックが作り込まれたものにリメイクされたけど、これは「一般的な日本人好み」ではなく「オタク好み」だったので、僕はまったく好感を持てなかった。男性キャラを女性に変更するという不自然な萌え系が気持ち悪く、あまりに不快すぎて視聴は断念した苦い経験がある。
やはり旧作で、名だたる声優陣がキャラクターに生命を吹き込んだものを、安物売りの人たちにキャピキャピされるとやたらとムカつくのだ。最新テクノロジーを駆使したアニメは、デジタル的には鮮明かも知れないが、音楽に例えると心を込めたバンドの演奏ではなく、パソコンでカシャカシャと打ち込んだカラオケの伴奏を聴かされているような気分。
結論として本来の「さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち」のファンって、「にわか」は別として、それほど最新技術や4Kリマスターにこだわっていない気がする。クリアな映像を見せられて「昔のアニメ作りはショボかったんだな」と幻滅するより、画質が悪くてもいいじゃん、ストーリーや世界観に惚れた僕は、無理やりの高画質など望んでいない。自分の脳内で細部や背景や行間を想像できなければ、映画でも音楽でも小説でも、心に響かない。
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毎年、ジュリーの正月ライブに行かないと年が明けた感が湧きません。ジュリーの姿を見て、ようやく令和6年を迎えたような気がします。
さて肝心のライブのほうは、「素晴らしかった」の一言に尽きます。実は先週、東京のライブに出かけた息子の感想は「う〜ん」だったのですが、とんでもない、さすがジュリー自身「世界一好きなホールです」と公言されているフェスティバルホールでのライブ。ジュリーやバンドの熱量を感じさせられる、まさにキング•オブ•キング、王道のパフォーマンスでした。
息子は衣装が気に食わなかったそうですが、81年のミック•ジャガーやTHE WHOの「オッズ&ソッズ」のレコードジャケにも違和感のない僕は全然OK。もっともミックやWHOはアメフトなんですが(笑)、またメガネもジョン•レノン好きの僕には抵抗はありません。むしろ慎重なジュリーの安全策を受け入れたいと思いました。
今回のライブは、やはり「さいたまスーパーアリーナ」を経験を経て、バンドがより強固かつパワフルになったという感想を持ちました。バンド名こそまだ有りませんが、7人のメンバーがそれぞれの持ち味をいいカタチで前に出せるようになったな、と感じました。
一曲目から平石さんのハイブリッドなドラムで、僕は一挙に体温が上がりました。EXOTICSのテイストを活かしつつ、新たなスタイルで叩く姿に、「日本のジンジャー•ベイカー」の称号を贈りたい(僕にその権利があるなら)です。
また高見さんのギターも圧巻でした。「カサブランカ・ダンディ」にユニゾンでワウを被せるプレイには、目からウロコが何枚も落とされましたし、今回の高見さんのプレイには特にフランク•ザッパ的なアプローチをたくさん感じたのは僕だけでしょうか。ワウペダルとオートワウを駆使し、たまらなくカッコいい変態サウンドで、とことんエロく迫ってくれたと思います。高見さんが前でソロを弾き終えるたび、依知川さんが高見さんのブースターペダルを踏みにくる姿も微笑ましかったです。
「根腐れpolitician」と「ISONOMIA」の2曲は圧巻、鳥肌モノでした。原曲がギターのみの作品ですが、バンドのアレンジが素晴らしく、ふだん余計な音を嫌うジュリーの耳にだけ聴こえているサウンドの具現化なのではないかとさえ思いました。これは是非とも音源にして欲しいです。今回だけのアレンジなんて勿体ない!
そんなエロカッコいいサウンドたちの仕掛け人はもちろん柴山さん。他のメンバーからみれば、ロック•バック•バンドの何たるか、ロックギターの何たるかを身をもって体現し、あまつさえジュリー(と不肖この僕)の心地いいツボを地球上で一番熟知しているギタリストですから、柴山さんには絶大な信頼を寄せているはず。そんなバンマスがサングラスに赤いジャケット、レザーパンツで「ガンガン行こうぜ」の作戦をチョイスしているのですから、当然こうなる。
そしてそのグルーヴに応えずにはいられないのが、我らがジュリー。仕掛けられたら倍にして返さないと気が済まない性格。今回は被災された人々に強い祈りのパワーをオーディエンスと共有したい思いとその包容力。オーディエンスもそれを受けて、フェスティバルホール内はどんどんヒートアップ。引火しそうな摩擦に次ぐ摩擦で、演者と僕たちは最高に気持ちのいい波動に包まれました。
♪心の距離も少しは遠くにあったほうがいい
愛の電波はどこでも届く
離れているから優しくなれるよ
今回はここが一番の僕のツボでした。もはやジュリーサウンドに身を委ねて酔いしれるのみ。この夢のようなひとときで、今年も耐え抜く気力が湧きました。ヒネクレていようが、得手勝手だろうが、僕はこんな自分自身の感性を信じながら、「ジュリーな毎日」を過ごしていくだけです。
また赤いカオナシみたいな格好で、ジュリーが転売ヤーの犯罪に関心を寄せていることも分かり、これからも微力ながら転売ヤー撲滅の声をあげていこうと思いました。「買わないこと」が何よりの対策、「買う」は犯罪者を儲けさせること。ジュリーファンは人生経験の豊かさと善の心でこの悪を退散させましょう。
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多額の浪費で成り立つ大阪万博にかかるすべての人員や重機を最優先で能登の早期復興にまわして欲しいし、資材や燃料が不足したり高騰しないよう万博は延期して欲しいなというのが僕の切なる願いです。
また少額ではありますが、当ブログのアフィリエイト収入は全額、復興が捗るまで能登半島地震の義援金として寄付をさせていただきます。皆さまもAmazonでのお買い物の際はぜひ「お買い物はコチラで検索」をクリックして、そこからご注文のご協力をお願いします。
さて新年を迎え、気持ち新たにブログを再開します。今年はあまり「蔵出し」をせず、なるべく短くてもリアルタイムな更新をしていきたいと思います。
また今年は僕自身のライブ活動再開の他、レコードトークライブや貴重な映像コレクション上映会など諸々の「ジュリーなイベント」なども考えておりますので、乞うご期待!といったところです。
]]>♪さよなら さよなら•••
さよなら さようなら
教室に舞っていたのは風花や枯れ葉ではなく、木屑だったけど。
保健室で診てもらったら、傷は思いのほか軽傷で、ほんの少し皮がペロンとめくれていただけで、血も止まりかけていた。確かオキシドールかアクリノールで消毒したあと、僕は生まれてはじめて保健室で絆創膏を貼ってもらった。ふだんは赤チンすら塗ってもらえないのに。
教室に戻るときはさすがに気まずかった。何針か縫うレベルの負傷だと信じて疑わなかったのに、絆創膏一枚の不甲斐なさ。自分の大袈裟っぷりや臆病っぷりが情けない•••それでもクラスのみんなは温かい笑顔でこんな僕を迎え入れてくれた。ありがとう、みんな!
と思ったら、僕の筆箱と体操着入れの中に、クラス中のやつらの木屑がパンパンに詰められていた。
この暑さ、いったいいつまで続くのでしょう。ひょっとしたら10月もこのまま?
何しろtomiさんという多感な多汗症の分厚い着ぐるみを被って生きてるので、熱苦しくてたまりません。
頭のおかしな8月の暑さと比べれば、いくぶん「マシ」にはなっているんだけど、この「マシ」というのが実は曲者で、いまになって蚊の活性が上がってきたように思います。夏の陽射しに痛めつけられた僕の柔肌を狙ってきやがる。
人類史上、ヒトをいちばん殺してきた生き物は、熊でも鮫でもワニでも毒蛇でもなく蚊なんです。感染症を媒介したり、アレルギーを引き起こしたりと、実は恐ろしい奴らなんですよ。
そんな危険な蚊の対策も、かつては蚊取り線香にはじまり、ベープマットからリキッドタイプになり、玄関や窓に貼って蚊を寄せつけないとか、ワンプッシュで蚊がいなくなるスプレーなど、魅力的なアイテムもたくさん出てきました。
ところが僕が見るところ、蚊のほうがそれらに耐性をつけてきたのではないかと思うときがあります。カラダに虫除けスプレーを振りかけて、他の場所を刺されたときには「わしゃ耳なし芳一か!」と情けなくなります。瞼の上とか足の裏とか、むしろやたら痒い場所を狙われます。
また最終兵器であるキンチョールやアースジェットの霧の隙間をぬって飛ばれたときには、思わず奴らのフォースの力を信じざるを得なくなります。
キンチョールを情けなくプッシュするときは稗田礼二郎で、容赦なく吹きかけるときは城戸誠の気分になってしまうのは、ひょっとして僕だけ?
ある人の話によれば、蚊が活発になる気温は25〜30度なんだそうで、こりゃ10月も蚊に悩まされるんだろうなと、いまからウンザリ。
蚊との闘いは、延長線に突入しそうです。対策として個人的にオススメなのは、精製水に北見のハッカ油を数滴垂らして、軽く自分にシュッとひと吹き。間違えて「素肌に星を散りばめて」も「ウルレレNo.9」をふりかけても、蚊は退散しません。ハッカ油の代わりにたぶんユーカリやペパーミント、ティーツリーなどのオイルでもよいかと思いますが、そこはお好みの匂いで。
あと蚊の羽音はAつまり「ラ」の音なので、諦めて音叉がわりにギターのチューニングをするしかありません。
おめでとう!
]]>いつまでも暑い!
不快指数が高いっちゅうねん!
ニュースは紛らわしい社長の名前だらけでウンザリ。こちとら小学生の時分からこの字面には条件反射のように反応してしまう体質。まさに「分かっちゃいるけど」つい「•••ん?」と目がいってしまう困った病気だ。
あーイヤだイヤだと思っていたら、関西ローカル限定だけど、なんと浜村淳さんが来年であのラジオ番組を降板するとか。
これは正直、ショック。別に熱心なリスナーじゃないけど、子供の頃から馴染みのある番組。親父の運転する車でよく流れていたし、引越しセンターのアルバイトで現場に向かう道中とか、さまざまな思い出の情景が浮かんでくる。
中でも、今もやっているのかなぁ、僕は浜村さんの映画紹介のコーナーが大好きで、解説どころか、あらすじのすべてを芝居っ気たっぷりに語ってくれる。S.スタローンの「コブラ」なんか、映画本編よりも浜村さんの語りのほうが面白かったし、「アンタッチャブル」なんて手に汗握って聴いた記憶がある。
特に印象に残っているのは「火垂るの墓」。これは引越しセンターのバイト中に聴いたんだけど、浜村さんが丸々一本ストーリーを語り終えたとき、車に同乗していたすべてのスタッフが泣いていた。現場に到着して作業を開始しても、みんな赤い目をして鼻を啜りながら働くことになった。スタッフ同士、目が合うと「節子•••」と呟く。するとまた「グスン」とくるという涙の連鎖反応。僕らが泣きながら働いているので、「兄ちゃんら、なんか知らんけどくじけんと頑張りや!」とクライアントからご祝儀をずいぶん弾んでもらった。
産みの母親と妹と離され、新しいお母さんと呼ばされる人の部屋に連れて行かれた朝も、その人が出ていってあびこ道の生家に撤収する朝も、その後、両親や親戚から受け続けた虐待のストレスによって自傷癖が発症し、病院に連れて行かれた朝も、家出から連れ戻された朝も、親父の運転する車からはいつも「ありがとう浜村淳です」が流れていた。
番組のテーマソングを聴くたび、様々な思い出が鮮明に浮かぶ。番組が終われば、僕の「昭和」もいよいよ終わってしまうんだなぁと感じる。時の流れは止められない。ただ僕が腹いせに傷つけた人たちへの後悔だけが残る気だるい残暑だ。
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柴山さん、お誕生日おめでとう御座います。これからもロック魂のこもったパワフルなギターを楽しみにしています。
たくさんの偉大なギタリストがいるけど、僕がこんなに「ギター好き」になったきっかけを与えてくれたのは、ふたりのギタリスト。
ひとりはキカイダーのジロー。悪の組織が悪巧みをはたらいていたら、どこからともなく聞こえてくるギターのメロディ。悪者どもが口々に「どこだ?」と探すと、たいていビルや塔の上で哀愁のあるメロディを爪弾くジローのカット。ギターが弾けるってカッコいいなと人生で最初に感じたのはジローの影響で、いまでもギター購入の際には赤を選んでしまう僕。しかしジローはあくまでフィクションの世界の住人。そもそもマイクもPAもなしで、あの音響はあり得ません。
さて重要なのは中学1年生の僕。念願のエレキギターを手に入れて輝かしいギター弾き人生がはじまったとき、ミュージックライフなんかのグラビアで見る洋楽のギタリストって、みんな胸毛ボーボーで、チリチリのロン毛を振り乱しているんだもの。色気づいたばかりの僕には、みんな荒くれ者の悪役レスラーに見えました。
一方、邦楽のギタリストは無愛想で気難しく見えて、どれもイケ好かない。スタイリッシュで知的でお茶目で、何よりあんなにクレイジーにエレキをかき鳴らしているギタリストって当時の僕が知る限り地球上には柴山さんしかいなかったし、そのスタイルがすごくカッコ良かった。しかもジュリーの隣りで、ジュリーの楽曲を奏でているんだから完璧ですよ。
最初はこんな単純な理由だったのです。だって12〜13歳ですよ。同級生は「ガンダム」とか「なめ猫の運転免許証」とか「Dr.スランプ」にはしゃいでいる時分の話です。
ところが実際に柴山さんのプレイを参考にしたり、生意気にも真似事をしていると、それぞれの楽曲ごとに展開する奥行きの深さとか幅の広さに圧倒され、どんどん音楽に傾倒していくようになるのです。
これは非常に重要なとこ。もし僕がヘビメタ一辺倒だったら、こんなに長くギターを続けていなかったかもしれません。柴山さんのギターは基本スタイルはブルースだと思いますが、ロックンロールは元より、ニューウェイブもハードロックもジャズもファンクも、ありとあらゆるジャンルのカッコ良さも百科事典のように満載で、それは今なお貪欲に無限の広がりを感じます。
しかし探究を続けるにも情報が足りない。インターネットもない時代、EXOTICSのあとは手探りで柴山さんのギターを追いかけなければなりませんでした。大澤誉志幸さんや白井良明さん系列など、いわゆるニューミュージックと呼ばれる分野は僕の大好物でしたが、アイドルのアルバムの中の一曲(しかもシングル曲じゃない)など、砂漠の中で一本の針を探すようなものでした。
偶然耳にした音楽で「おっ、このギターは『ぽい』ぞ」と僕のアンテナが感知してそれが正解だと、アスリートがメダルを獲ったときのようにガッツポーズです。
新品を開封するわけにはいかないから、レンタルレコード屋で、アイドルのジャケットや歌詞カードのクレジットに目を通す。まるでそれらを舐めまわすように。側から見たら不審な変態ですよね(笑)
そんな地道で孤独な活動を続けてきて40余年。いずれ僕が知る限り、ほんのわずかではありますが、柴山さんのギタープレイが聴ける楽曲リストをキチンと作りたいと思っています。
例えばコレ、マニアックでしょ。
バックミュージシャンはジュリエット。
ガロのサポートをしていたと聞いていたものの、長年ガロ名義のレコードを探しても見つかりませんでした。
オマケ。まだまだほんの一部です。
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しかしその後、ポリドールからジュリーの新作アルバムがCDとして発売されることはなかったので、「女たちよ」や「ノンポリシー」、「ロイヤルストレートフラッシュ3」がCD化されるまで、長い時間がかかりました。
で、この「Mis Cast」のCD盤なんですが、レコード及び後発のCDと聴き比べると、ミキシングの波形が違っており、若干テンポが早いんです。とはいっても、実際に耳で聴き比べても分からない程度なんですけどね。パソコンの画面でのみ「おっ?」で、うちのステレオごときでは明らかな違いは感じられませんでした(笑)
しかしこれがどういうことかというと、レコードプレスとCDプレスのときに使われたマスター音源はそれぞれ別物なんです。後発のCDはレコード盤音源を使っていますから、ポリドールCD第一号音源3113-1は、いまとなっては幻の音源だということ。これがリマスターされて世に出ると、またマニアは大喜びするはず。
そう考えれば、アポロンでカセットで発売されたマスター音源も、レコードのそれとは違うのか、という疑問が残る。これはまたいずれ検証してみて(息子にやらせて)、あらためてご報告させていただきます。
「3113-1、リアルタイムで買ったよ」というリッチでセレブリティな方がいらっしゃったら、どんなプレーヤーや音響で聴いたのか、お聞かせくださると幸いです。
以上、世界で最初のCDはピンク・フロイド、日本の東芝はポール•マッカートニー、ポリドールで最初の歌モノCDは沢田研二の「Mis Cast」なんだぞ!というお話でした。
※ポリドールは同時にクラッシック部門、ジャズ部門、ニューミュージック部門からそれぞれCDを発売しております。ジャズはカウントベイシー、ニューミュージックは高中正義です。
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もう素晴らしいの一言に尽きます。生放送をご覧になられた方も多数いらっしゃると思いますが、会場のほうは腹に心に魂に響く音圧と熱気がハンパではなく、一曲一曲が始まるごとに鳥肌が止まらなかったです。
2018年からの鬱憤、さらに演者のみならず僕たちオーディエンスにも流行り病がもたらしたさまざまなダメージを見事に払拭するというか、いちばん胸がすくやり方で蹴散らしてくれたライブでした。
長年にわたり、いままで何度もジュリーのライブを観てきたけど、こんな神々しさを感じたのははじめてでした。
瞳みのる氏
森本太郎氏
岸辺一徳氏
による胸熱なタイガースナンバーや、語られた貴重な思い出の数々。休憩が終わると怒涛のジュリーナンバーのオンパレード。「一生懸命バンド」(勝手に命名)の演奏も素晴らしく、「そのキスが欲しい」の柴山さんのギターソロで僕は一気にテンションがMAX。普段は自慢の軍用双眼鏡で皆さんのプレイをクールに鑑賞している僕も、今回ばかりはそれどころじゃなく、双眼鏡を足元にほったらかして、ノリノリで手拍子や振付をし、時にはジュリーと一緒に歌い、拳を振り上げ、汗だくになりました。
僕が特に嬉しかったのは「TOKIO」の解禁です。2021年の「BALLAD」の「TOKIO」を聴いたとき、僕は「主人公のパラシュートが開かなかった。変異株の名称を呟きながら、不安定にクルクルと落ちていく不安。早く元のTOKIOで盛り上がれる日に戻ることを、ジュリーとともに祈る」と書いたけど、柴山さんが耳慣れた「TOKIO」のイントロをかき鳴らした途端、嬉しくて思わず叫んでしまいました。
古参ブロガーとしてライブレポくらいは上手く表現しなければならないのに、ごめんなさい、今回ばかりはもう圧倒されるしかなかったし、言葉が見つからないというのが正直なところ。こうして記事を書いているいまも、興奮の余韻は治まりません。アパホテルの一室、目を閉じてもシャワーを浴びても、耳や目や心に焼きつけた場面が次々に浮かんできて寝られへんねん。この時間になっても。
こんな素晴らしいライブをやってくれたジュリーに対して、感謝しかありません。あきらめずに頑張っていくための最強パワーをいただきました。ホンマにカッコいいおっさんやで!日本中よ、これが沢田研二じゃ!
5歳のお誕生日と、お釣りがくるほどのリベンジの達成に心からお祝いを申し上げますとともに、誰もが感じたであろうあなたのファンとしての誇らしさに、厚く御礼を申し上げます。
ありがとう!
サンキュー!
アリガトーネ‼︎!
WOWOWの録画は友人に頼んだ。バッチリ録ったとメッセージもあった。それを受け取って、家で観るまで僕のSSAはまだ終わりません。
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http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=735
僕と息子もカメラとマイクを向けられ、ワイドショー用のインタビューを受けたけど、逆にマスコミを批難してやった。自分たちが求めている回答を得るために、巧妙に誘導する姿勢が大変不愉快だったからだ。
スポーツ新聞や週刊誌も散々叩いた。ジュリーの行動に理解を示すコメンテーターもいれば、客がひとりしかいなくてもやるのがプロだと素人以下の批判もあった。「貫け!」と語ったサリーさんの言葉に熱いものを感じた。
経緯や事情を知らぬ友人たちから久々に何通もメールがきて、「ジュリーが何かすごく悪いことをやらかした」と「見出し」に操られていた。「メディアって怖いね」というのが、率直な僕の感想だし、これ以降、僕はあらゆる報道をまずは全て疑う習慣が身についた。
ジュリーご本人は潔く「僕にさいたまスーパーアリーナを一杯にする実力がなかった」と取材陣に応えていた。言い訳がましさは一切なかった。
負け惜しみのテレビは「まるでカーネルサンダースだ」と芸人を使って、とてつもなく低い自分たちのレベルまで陥れようとしたけど、もうジュリーもファンも誰ひとり反応しなかった。
ジュリーは寡黙に、力強く、リベンジを誓った。ステージには情熱の赤い旗がはためき、僕たちオーディエンスもそれに呼応しようもした。2019年の「SHOUT!」はまさにその狼煙だった。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=754
さらに2020年、「Help!Help!Help!/頑張んべぇよ」を聴いたとき、ライブで一緒に「毎度!毎度!毎度!」と叫ぶのが楽しみだった。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=813
ところがその翌月、公演中止のお知らせ。ひとりひとりの命と未来を護るための決断だった。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=817
武漢からやってきた最悪なウイルスが、僕たちの口を塞ぎ、距離を広げてしまった。パンデミック、クラスター、濃厚接触者、マスク転売、ロックダウン、三密、ソーシャルディスタンス•••。生活には様々な変化を強いられた。それでも僕や同志の「ジュリーな毎日」だけは変えられない。
>2021年、沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLAD」。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=874
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=894
しかしライブは一席ごとに空き、スタンディング禁止、マスク着用で声援もなし。
2022年の初詣ライブでは、冒頭のガチ安全祈願と久々のバンドスタイルに興奮。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=905
74歳のお誕生日には待望の新曲リリース。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=927
そしてライブでは「さいたまスーパーアリーナ」の発表。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=947
年が明けてお正月には人生初バルコニー席。
http://ariga-to-ne.jugem.jp/?eid=959
今回はもう特別に嬉しくって、誇らしくって仕方がない。いよいよ待ちに待った「赤い旗のもとに集う日」。
いちばん入る設営でソールドアウト!
2018年のリベンジは完全完璧なる成功。
不快な記事を書いた惨めなヤツらに「ザマアミロ!」と言いたい。まあ、そいつらは恥も外聞もないので、「ワシは信じとった」みたいな感じで便乗してくるだろうけど、さすがに僕たちのこの喜びは本心から共有できんわな。重ね重ね、お気の毒(笑)
しかし一説では第9波突入ともいわれており、先月末には息子と嫁が感染、発症。5類になったからといって、すべてオーライではなく、個々に十分な注意が必要。道中はしっかりマスクして、手洗いうがいも怠らず、免疫力を高めて集いましょう。ジュリーには安心して機嫌良く歌って欲しい。
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外道のK氏がかつてPYGとライブで共演したときの裏話など、貴重なところも語ってもらえたし、なかなかにマニア心をくすぐられる内容でした。
人見氏と志田氏がそれぞれ持参したレコードを掛け合い、その曲についてのエピソードを語るという内容で、両名の音楽や映画の知識またそのバックヤード等には関心しきり。第一部、第二部ともにあっという間に時間が経ちました。
湘南ビーチFMの熱心なリスナーの方々も福井、愛知、三重から遠路遥々やって来られたりして、ライブ後も楽しい時間を過ごせました。
今回は前日になって河内長野から天神橋筋六丁目へと急な会場変更もあり、てんてこ舞いの展開で、何名かの皆さまにはご迷惑をおかけしましたが、次回は会場選びの初期段階から、僕も企画に参加させていただきたいと思います。
いや〜音楽って素晴らしいですね。
MORE GOOD MUSIC!
会場は大阪市の天六にある古民家カフェ「うずめ」に変更となりました。
大阪市浮田町1-5-24
TEL: 090 5889 2528
Mail: chance@uzume-sun.com
地下鉄堺筋線「天神橋筋六丁目」下車
徒歩3〜4分です。
地図はこちら↓
http://www.uzume-sun.com/contact.html
突然、河内長野とは他府県並みにかけ離れた場所での開催となり、僕自身も戸惑っております。参加予定ならびにご検討中の皆さまには、大変ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、かねてよりご案内の人見欣幸氏と志田一穂氏のサントラレコードバトル「GO WEST!」が、今週末に迫ってまいりました。河内長野の古民家カフェへのへので、第一部は12時から、第二部は14時30分からです。
場所は河内長野駅の地味なほうの出口(イズミヤがある方)から310号線に出て一本道。僕が中学時代にいろいろ悪さをしていた長野公園を通り過ぎて、河合寺のあたりです。バス停があります。道中、別な古民家カフェもありますが、それの先にあります。
またバス停でバス待ちをしている方々のイデタチを見て、「自分はこんな軽装できてもよかったのか?」と驚かないでください。あの人たちは登山客です。
人見欣幸のお宅は横須賀の海辺ですが、僕の育った河内長野はほぼ山(笑)、対照的にもほどがありますが、あまり住宅事情を気にせずに、大音量でラジオやレコードを聴けた環境という点では一致しているかも。
パワースポットである金剛山、河合寺や観心寺からのエネルギーと、周囲の大自然が育むおいしい空気。さらに古民家カフェへのへののオーガニックな食事、そして何より「いい音」で聴く極上のサウンドトラックたち•••。ちなみに、すぐ近くにに内田裕也さんの母校もあります。
6月25日のさいたまスーパーアリーナに向けて英気を養うのに、最高のロケーション&シチュエーションだと思います。
人見欣幸氏の音楽の知識は、レアなレコードの所有量と同じく、ハンパないです。レコードコレクターズという雑誌によく記事を書いていますが、豊富なデータだけでなく、アーティストの内面まで鋭く深く掘り下げていたり、その熱量には頭が下がります。
特にCHICというバンドおよびナイル•ロジャースの研究については、第一人者といっても過言ではなく、CHICのメンバー達からの信頼も厚い。そのおかげもあり、CHICが大阪に来たときには、僕もホテルまでメンバーの施術に携われているほどです。
人見欣幸氏とは、ジュリーファン、柴山さんファンとして出会いましたが、音楽の好みや特撮(特にウルトラセブンと仮面ライダー)など、マニアックな話で盛り上がり、お互いに初対面のような気がしませんでした。CHIC、ザ•フーのライブにも連れて行ってくれたし、また音楽紹介業として体験した貴重な話もたくさん聞かせてくれます。何しろご自分のラジオ番組にゲストとして柴山さんを招かれたくらいですから。
今回は直帰のようですが、大阪に来るたび、うちに泊まってくれる。2009年に僕が開催した「ジュリーなパーティー」では「ジュリーの楽曲と洋楽との関係性」についてのトークライブをやってくれたし、翌年の別人バンドのライブにはサプライズで来てくれました。
出会った頃はモッズ系のファッションだったけど、ここ近年は作務衣で通しているようで、悟りを開いた宗教家のようにもみえて、そのうち空中浮揚くらい簡単にやってしまうのではないかと友として心配だけど、「シン•仮面ライダー」を何度も見に行き、ライダーカードで童心に返るトレビアンなおっさんなので、大丈夫だと思います。
ご本人は、笑いの聖地大阪で「爆笑トーク」と自らハードルを上げてしまったようですが、その辺はどうか甘めでお願いします。僕は根がドSなので、「大勢の前でスベれば面白いのに」と意地悪いことを願ったりしていますが、でも、やっぱり盛り上がりたいよね。
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僕がはじめてティナ•ターナーと出会ったのは、1980年代、ソロになってからの活動で、ぶっちゃけドナ•サマーと区別がつかなかったほどだ。まあ、映画「マッドマックス」に出てる方がティナ•ターナーだというくらい。あと「ウィー•アー•ザ•ワールド」で、ビリージョエルの前に歌った人、程度の認識だった。「プライベート•ダンサー」というアルバムがヒットしていて、カセットにダビングしてもらったけど、そのときは未熟にも聞き流していた。
しかしその後、僕がストーンズの社会人コピーバンドを組んだとき、メンバーのひとりのおっさんから「アイク&ティナ•ターナー」の昔のビデオを見せてもらい、「プラウド•メアリー」のパフォーマンスに衝撃を受けた。
恥ずかしながら、僕は数年前に人見欣幸氏に指摘されるまで、この曲はアイク&ティナ•ターナーのオリジナルで、「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」のほうがカバーしているとずっと勝手に思い込んでしまっていた。修正するチャンスはいくらでもあったのに、それほどまでにインパクトがあったのだ。
ソウルやR &Bを聴くようになって、それらにハマればハマっていくほど、アイク&ティナ•ターナーは無視できない存在になった。そのパフォーマンスは凄まじくカッコいい。熱さ、いや暑苦しさすら感じるスリリングなステージング。僕はR &Bなのかロックなのか、もはやジャンルを超越して、カッコよさを最優先して追求しているんだと思う。
昔、聞き流していたアルバム「プライベート•ダンサー」を買い直してみると、アル・グリーンやアン・ピーブルス、さらにビートルズやアニマルズ、デヴィッド・ボウイのカバー、マーク•ノップラーの楽曲提供、レコーディングにはダイアー・ストレイツ、ジェフ•ベック、メル・コリンズなど、米国のハイサウンドと英国ロックのいいとこどりな、豪華な作品だと気づく。
ティナ•ターナーは、魅せ方を心得たシンガーであり、オーディエンスのハートを熱くした偉大なボーカリストだ。
いい音楽を聴かせてくれた感謝とともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
]]>サントラ、
サントラ•マミー•••。
森田芳光総指揮•脚本のオムニバス映画「バカヤロー」の主題歌が、RCサクセションの「サン・トワ・マ・ミー」だった。
この曲は88年に発売されたRCサクセションの歴史的名作カバーアルバム、「COVERS」に収録されていた。このレコードは僕の目から何枚もウロコがポロポロ落ちた、ジャパニーズロックの最強アルバム。
この「COVERS」の発売中止や放送禁止などの問題は、僕も大きな影響を受けた。世のロックと呼ばれている音楽の歌詞を、すべて生温く感じるようになってしまったのだ。大手音楽会社が発信する音楽や文化は、もれなく大人たちの事情という脂ぎった権力者のフィルターを通過していることに嫌悪感を抱いて、僕自身アングラなものに興味を持つようになったきっかけを与えてくれたアルバムだからね。
洋楽の日本語訳カバーの中で、元ネタを凌駕する楽曲を挙げよといわれたら、僕は迷わずショーケンの「ラストダンスは私に」とRCサクセションの「サン・トワ・マ・ミー」の2曲を推す。
で、この「サン・トワ・マ・ミー」が主題歌の映画「バカヤロー」シリーズの4作目に入っている「カラダだけの男」ですよ。何かと多忙な身の上、巷の流行り物には興味はなかったけど、ジュリーファンとしてこれだけは観に行かねばならない。
「バカヤロー!4 ユー! おまえのことだよ」(4 ユー! はフォー•ユーと読む)は1991年の作品。全3話で構成されたオムニバス作品で、「カラダだけの男」は2話目なんだけど、冷静にみても、あとのふたつはただのオマケ程度。
監督はあまり知らない人だけど、脚本もキャスティングも素晴らしい。石丸謙二郎さん、蛭子能収さん と並んで、JAZZ MASTERの建さんもジュリーの同僚として出演。ジュリーの奥さん役の松田美由紀さんもぶっ飛んでいるし、尾藤イサオさんとの絡みなんかは、ジュリーが楽しみながらやっているんだろうなというのが伝わってくる。
91年のジュリーといえば、「ヒルコ/妖怪ハンター」や「夢二」、前年には「ぼくと、ぼくらの夏」と、スクリーンに登場する機会も多かったし、また前年の「市川準の東京日常劇場」への出演なども印象的だ。
何しろデビュー25周年イヤー。「ジュリーマニア」の年ですからね、ガンガン攻めていたんだなぁとあらためて実感。ちなみに僕が鍼灸師としてデビューした年でもあり、息子が生まれた年でもあります。
おっと脱線。
映画「バカヤロー」シリーズは、どれも主人公や登場人物が劇中でストレスを溜めて、溜めて、溜めまくって、最後に「バカヤロー!」と爆発するスタイルだ。
そしてエンディングでRCサクセションの「サン・トワ・マ・ミー」が流れる。実は91年はRCサクセションが無期限の活動休止をした年でもある。なので僕は、忌野清志郎もこのサントラで「バカヤロー!」と叫んでいるような気がした。
また「馬鹿野郎」がいないことには、映画やドラマ、小説はつまらないんだろうなと感じた作品である。もちろんロックもそうだ。RCサクセションの「サン・トワ・マ・ミー」を聴くたびに、僕はそんなことを考えてしまう。
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酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ
日本全国がバラクーダの歌で盛り上がっている頃、僕はライ•クーダーのスライドギターに酔いしれていた。
1984年の夏休みに「ストリート•オブ•ファイヤー」という映画を観たとき、劇中で聞こえるスライドギターがカッコよくて、サントラ盤でライ•クーダーの名前を覚えた。
「パリ、テキサス」、「ジョニー・ハンサム」、「ラストマン・スタンディング」などの名作でも音楽を担当したライ•クーダー。
極めつけは87年(アメリカ公開は86年)の「クロスロード」。伝説のブルースマン、ロバート•ジョンソンの幻の1曲を探すロード•ムービー。主演はベストキッドでもお馴染みのラルフ•マッチオ君なんだけど、彼のギター演奏を吹き替えて弾いているのもライ•クーダーで、ブルースにハマりだした僕にとっては、すごく貴重なプレイとなった。
映画の最後にはローリーみたいなスティーヴ・ヴァイが出てきてのギターバトルで、ブルースフィーリングなんて無限の彼方にぶっ飛んでしまうんだけど、家出少女との別れのあと、テレキャスターとピッグノーズのアンプによるブルースが、いかにもライ•クーダーのギターで泣けるのだ。
なんて、サントラについて語りだすと止まらない。でもたぶんそれは皆さんにもあるんじゃないかな。
そのあたりをプロの音楽紹介業に熱く語ってもらえたら、もっと共感できるのではないだろうか。6月17日(土)、河内長野の河合寺にある古民家カフェ「へのへの」に、横須賀から僕の盟友がやってきて、レコード&トークライブを行う。
ちなみに僕と盟友との出会いは、横須賀で行われたジュリエットのライブだった。初対面でずいぶん語り合ったな、柴山さんのこと、そしてジュリーのこと•••。初対面っているのがウソみたいに、いつものように放課後の部室で、好みの音楽について語り合うみたいに。
音楽について語り合うとき、何十万枚売れたとか、賞をとったとか、推定でいくら儲けただとか、コレクション自慢だとか、そういう下世話なこと抜きで、楽曲の良さについて語り合う。
6月25日、さいたまスーパーアリーナでの「積年の、さまざまな、溜飲の下がるライブ」に集う前の前哨戦として、ぜひ河内長野に足をお運びください。
もちろん6月25日の都合がつかず涙を飲んでいる人にも、楽しんでもらえると思いますよ。
ド田舎という最高のロケーションで、主演男優賞受賞のあの曲や、あれや、これや、ジュリーファンなら涙が出るようなサントラを、一緒に大音量で聴こうじゃありませんか。
なにとぞよろしくお願いします。
その日、その時に聴いてきたすべての音楽が、
あなたの人生のサウンドトラック。
•••などと、ハゲなのにちょっと気取ってみました。
クラシックギター教室に通っていたこともあって、僕は映画音楽には馴染みがあった。「駅馬車」だの「鉄道員」だの「禁じられた遊び」だの「シェルブールの雨傘」だのと、「壁に耳ありクロード•チアリ」状態で、ガットギターの音色が聞こえてくると過敏に反応してしまう小学生だった。
だけどそれらの映画は観たことがなかったので、映像と音楽が直結するものではなかった。つまりサントラではなく「映画音楽」に過ぎなかった。
僕の脳内に映像と音楽が怒涛のように押し寄せてきた作品といえば、「ジョーズ」が最初かもしれない。おかげで海水浴が怖くなった。次いで「エクソシスト」も怖かった。あの旋律を思い出すだけで、トラウマ映像がよみがえり、布団を頭から被ったものだ。
「スーパーマン」もやはり強烈で、あのメロディを聴けば自分も空を飛べるのではないか、「スターウォーズ」のダースベイダーのテーマ曲のちょっとした絶望感、「ロッキー」を聴くと自分もトレーニングがしたくなるなどなど、まさに映像と音楽が記憶の中でワンセットになっている。
何より僕がこの世でいちばん大好きなサントラ盤は「ブルースブラザーズ」であり、劇中の音楽たちは、いま現在も僕の人生になくてはならないものだ。車を運転しながら「スイート•ホーム•シカゴ」を聴くと、ついついヤンチャな気分になってしまうので要注意だ。
さらに80年代中頃からの映画と音楽の蜜月のような関係性も大事だ。「ロッキー4」でJBが豪華な登場をしてからというもの(笑)、「フットルース」や「フラッシュダンス」など、サントラ盤が売れるようになった。
「ストリート•オブ•ファイヤー」、「バック•トゥ•ザ•フューチャー」、「ゴースト•バスターズ」の3作の主題歌を聴くと、高校時代の思い出がよみがえって、キュンと切なくなる。皆さま、お笑いください。彼女と映画に行った後、こっそりその映画のサントラ盤を買い、ドキドキのデートを牛みたいに何度も反芻していた僕を•••!
「パープル•レイン」は映画はイマイチだけど、あの時代を代表するアルバムだし、リッチー•バレンツの伝記的作品「ラ•バンバ」で、エディ•コクラン役のブライアン•セッツァーによる「サマータイム•ブルース」は衝撃的だった。
まあ、その後は徐々にご都合主義的な映画作品と音楽会社の抱き合わせ商法にうんざりしてきたのもあって、「トップガン」や「カクテル」なんかでは、もうサントラに興味はなくなったけど、「ビバリーヒルズ•コップ」のテーマ曲はカッコよかった。
あと「ワンス•アポン•ア•タイム•イン•アメリカ」はジュリーファンとして観に行かねばと思ったけど、本編にジュリーの「アマポーラ」はなかった。テレビの予告編だけだったのね。ちなみに「アマポーラ」は、僕は淡谷のり子大先生のSP盤「アマポラ」がいちばん素晴らしいと思います。YouTubeで誰かあげてくれているから、興味のある人はぜひ!
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サウンドトラック、
サンドラ•ブロック•••。
よくよく考えてみると、僕の音楽好きは、サントラからスタートしたのではないかと思う。
ただし、名画と呼ばれるそれではなく、仮面ライダーやウルトラセブンなどの劇中で流れる音楽に心躍らせたのだ。「ライダーごっこ」をしていると、脳内で劇中音楽が流れていた。当時の特撮の音楽を子供向けだと侮るなかれ、パンチが効いたファンキーな楽曲多し。ジリジリと歪んだファズやワウペダルなども多用され、古くからの日本の「活劇」とロックの融合は、モロに日本人好みでカッコいいのでオススメです。
もう少し大きくなれば、やはり「さらば宇宙戦艦ヤマト」のサントラLPは外せない。アニメの域を超えた壮大な宮川泰サウンドに魅了されたし、何より主題歌がいいからね。
またドラマのサウンドトラックでいえば、井上堯之バンド、大野克夫バンドの存在は欠くことができない。僕が最初にジュリーにビビビっときたのは「悪魔のようなあいつ」。牧歌的な主題歌に宿る狂気、毎回のエンディングで流れる「時の過ぎゆくままに」のアレンジが違っているのも興味を引いた。
「太陽にほえろ!」に至っては、LPについている各楽曲の譜面がカッコ良かったし、新任刑事が登場するたび、その刑事のテーマ曲が気になったほど。
そして何より「太陽を盗んだ男」。あのピアノの旋律は耳を離れない。映画は映像と音楽によって成立するのだという証明になったと思う。
また僕の世代といえば、やはり角川映画。「犬神家の一族」はじめ市川崑による金田一作品の音楽の素晴らしさにはじまり、「人間の証明」、「野性の証明」、「戦国自衛隊」、「スローなブギにしてくれ」、「狙われた学園」、「セーラー服と機関銃」、「時をかける少女」などなど、口ずさみたくなるような名曲目白押しの映画主題歌たち。
「魔界転生」における究極の和風プログレサウンドなサントラは、まさに国宝級の名盤となった。
角川映画じゃないけど、石原良純初主演作「凶弾」は、山本達彦の楽曲が良かった。
最近のサントラは、ほぼダメだ。どいつもこいつも無色透明というか、みんな同じ軟弱な歌い方で、心にはまったく突き刺さらない。サラッと撫でられただけでつるんと消えてゆく。「キネマの神様」だって申し訳ないけど、「主題歌だけ」は思い出せない。
こんな感じで、サントラ音楽について語りだすと、どんどん書きたいことが思い浮かぶ。僕が映画やドラマを観るにあたって、ふつうの人よりもサントラにこだわってしまう。
映画が終わってエンドロールがはじまると、いそいそと席を立つなんて、僕には考えられない。肝心なものを棄てていませんかと問いたいくらい。その粗忽さは「分かっている人」からみれば、滑稽で気の毒だ。
今回、「シン•仮面ライダー」は計5回観に行ったんだけど、最初のエンドロールで席を立つのは軽率すぎだ。ワケの分からない今風の音楽のあと、馴染みのある子門真人のナンバーが3曲流れる。これを聴かずして「シン•仮面ライダー」を観た気にならないで欲しい。ライダーごっこに夢中だったあの頃みたいに心が躍るんだから。
当時の僕の印象としては、RCは古いロックンロールやR&Bを基調としたバンドで、YMOはシンセサイザーを駆使した最先端の音楽であり、まるで淡水魚と海水魚の違いくらいに思っていた。今となっては双方ともあの時代の最新のオールドロックンロール、つまり日本の新たなパンクムーブメントだったと思っているけど。
この曲が流行る前から、僕はRCもYMOもザクザク聴いていて、その両方ともお気に入りだった。どちらもまだ自分の乏しいおこづかいでLPを買うほどではなく、それぞれ友人にカセットにダビングしてもらって聴いていたんだけど•••。
キヨシローのほうは「トランジスタ•ラジオ」などの歌詞に「あれはボクのことを歌っているのだ」と共感していて、一方の坂本龍一に対しては「教授」と呼ばれる天才的な音楽家であり尊敬の対象、FMラジオのサウンドストリートを毎週聴くのが楽しみだった。
夜のヒットスタジオやベストテン、プロモーションビデオのおふたりのパフォーマンスを見たら、どちらも狂っておられて(笑)さらに好感度が上がってしまう。熱病にでもかかったように、RCとYMOを繰り返し聴きました。
しかしジュリーファンとしては、あのおふたりのド派手なメイクとパフォーマンスは正直いうと脅威に感じてしまった。忌野清志郎も坂本龍一も「パッと出」の単なるイロモノではなく、超一流のミュージシャンだし。
ところが海外、特に英国ロック界に目を向けると、もっとミュージックシーンが歌舞伎化していることに気がついて、もはやロン毛を振り乱すハードロックの時代ではないなと確信してしまった。そりゃボーイ•ジョージなんて出てくるんだもの。
しかし化粧品メーカーのCMで「い•け•な•い〜」というフレーズはなかなかショッキングだったし、「•」の使い方でよりコトバが活きてくるんだな、と感じていたら、「ユ•ウ•ウ•ツ」だもんな。まあ、その前に「ス•ト•リッ•パ•ー」もあったんだけど。そしてそのもっと後には「KI•MA•GU•RE」が控えていると。
坂本龍一氏は「い・け・な・いルージュマジック」の後、映画「戦場のメリークリスマス」に出演、その映画音楽とともに世界からの注目を浴びるようになり、「ラストエンペラー」ではアカデミー作曲賞を受賞。ちなみに「戦場のメリークリスマス」で坂本龍一氏が演じたヨノイ大尉って、そもそもジュリーに出演オファーがあったけど都合がつかなかったらしい。デビッド•ボウイとジュリーの共演もぜひ観たかったけど、結果オーライ、坂本龍一氏の不器用な演技が素晴らしかった。
その後もYMOおよび坂本龍一氏の露出は増え、「体操」のプロモーションビデオに驚き、「君に胸キュン」をみて思わず腰が砕けた。
何かで読んだか聞いたことがあるのだが、かつてYMOを立ち上げたとき、レコーディングにやってきた坂本龍一氏は寝癖頭で小汚い衣服、履き物はおっさん用のサンダルで、ファッションにはまるで無頓着だったのを、幸宏さんが事細かくコーディネートしていったらしい。天才音楽家らしいエピソードだけど、やがて時代のファッションリーダー的な存在になり、もみあげさえ剃れば、中学の校則に違反せずともオシャレだといわれるようになったのは、僕はYMOが世の中をぐいっと既定路線から新しいエリアへと引き寄せたのだと思っている。
幸宏さんの訃報をきいてから、再びよくYMOのLPを聴くようになった。「ソリッド•ステイト•サヴァイバー」や「デイ•トリッパー」のギターが鮎川誠さんでカッコいいなぁと思っていたら、鮎川誠さんが旅立たれた。で、今回は坂本龍一さんまで•••。なんか訃報をきくたび凹む。
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