1975年
沖縄国際海洋博覧会開幕の年、
広島東洋カープが球団創設以来26年目で初優勝。
「およげ!たいやきくん」ブーム。
それと、あとで述べますが、
1975年はブログ主にとって記念すべき年です。
まるか食品「ペヤングソースやきそば」
小林製薬「サワデー」
日本コカ・コーラ「ジョージア」
コクヨ「Campus」
明治製菓「きのこの山」などが新発売。
桂三枝の「♪1・2・3・4・ご苦労さん〜」と東芝のCM、
よく覚えています。
映画ではまず、東映太秦映画村が開村、
「トラック野郎」シリーズがはじまりました。
ジュリー主演の日活映画「炎の肖像」の公開。
洋画では、
「タワーリング・インフェルノ」や
「ジョーズ」など。
さて、テレビですが、ドラマでは、
・Gメン'75
・前略おふくろ様
また、
・カックラキン大放送!!
・それは秘密です!!
・ぴったし カン・カン
・料理天国
・欽ちゃんのドンとやってみよう!
・パネルクイズ アタック25
などバラエティーも充実の年。
子供向けは、
・正義のシンボル コンドールマン
・秘密戦隊ゴレンジャー
・仮面ライダーストロンガー
・アクマイザー3
・フランダースの犬
・まんが日本昔ばなし
・勇者ライディーン
・ドンチャック物語
・ガンバの冒険
・ゲッターロボG
・宇宙の騎士テッカマン
・アラビアンナイト シンドバットの冒険
・タイムボカン
・鋼鉄ジーグ
・UFOロボ グレンダイザー
・元祖天才バカボン
・一休さん
など、名作ぞろいですね。
さて1975年なんですが、
その頃、僕は祖父母に育てられていた時期なんですが、
実家が散髪屋で、けっこう夜遅くまで営業していました。
つまり、お茶の間は僕の「ひとり天下」。
上記のテレビ番組なんか、独占権どころか、
好き放題に見ていましたが、
金曜日の夜に事件は起こりました。
子供にはもう眠たい時間、
なのに祖父母は店で営業中で、
ひとりでチャンネルをがちゃがちゃ回していたら、
交差点で頭を抱えて悶絶しているお兄ちゃんの姿が。
まあ一瞬、チャンネルを回す手も止まりますわな、
そしたら、画面になんか横文字が出てきて揺れてる。
英語の意味なんか知るわけもなく、
ただ、そのお兄ちゃんのファッションとか、
怪しげな空気から目が離せなくなって、
テレビの前で固まってしまいました。
音楽なんてそれまで何とも思ってなかった。
レコードを33回転にして、
子門真人の声でゲラゲラ笑ってた子供が、
劇中でフォークギターを弾きながら歌うお兄ちゃん歌声に、
完全に目も耳も奪われてしまいました。
必要なものがスーっと入ってきた感じ。
小1の子供に番組の内容なんか、ほとんど理解できない。
しかし自分で「よし、金曜日の10時はこれを見なきゃ」と誓った日。
テレビっ子、ここに極まれり!
その番組こそが「悪魔のようなあいつ」。
そのカッコいいお兄ちゃんは、沢田研二。
他のアイドル芸能人なんてまだ区別がつかないけど、
この人だけは分かる。
今後は「沢田研二」を要チェックだ!と、
それが今日までずっと続いているわけです。
当初は「ジュリーな毎週」だったし、
けっこう見逃し回もあったはずだけど。
さて、この年リリースされたシングルは、以下の3枚。
・白い部屋
・巴里にひとり
・時の過ぎゆくままに
他にも「フゥ・ド・トワ」がフランスで発売。
「白い部屋」1975/3/1
後半のダイナミックなアレンジ、
レコード会社vsバンドという感じがします
「巴里にひとり」1975/5/21
ただのシャンソンでは終わらないぞという、
ロックなボーカルと演奏がたまらないです。
フランスでベストテン入り。
「時の過ぎゆくままに」1975/8/21
日本歌謡大賞・放送音楽賞受賞。
「悪魔のようなあいつ」でも毎回アレンジが違うんです
そういった出合いだったとは。
偶然か運命的なのかよくわかりませんが(所詮他人事で、スミマセン) でもその後のyasutomiさんの生き方を鑑みるならば、「yasutomiさんにとっての必然」だったに違いありません。
素敵な奇跡ですね。
大人になったある年齢からは、右か左か迷うような場合、「ジュリー的な方」を選択するように生きてきました。
もし僕がジュリーに出会わなかったら、きっと違う人生を歩んでいたと思います。
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