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僕と息子とビートルズ

ビートルズをリアルタイムで体験していない僕。

夢中になったのは中学生になってから。

1981年とか82年の頃からレコードを集めだした。

 

彼らのオフィシャルな活動が1962年から1970年として、解散から11〜12年後に、僕はビートルズに目覚めたわけだ。 

 

あの頃、リバイバルというのかな、ちょっとしたビートルズブームで、映画「悪霊島」の主題歌が「レット・イット・ビー」だったり、ブラックガムのCMで「プリーズ・プリーズ・ミー」が流れたり、「突然ガバチョ」という関西ローカル番組では「抱きしめたい」が使われていた。

 

でも、僕にとっての「きっかけナンバーワン」は、ザ・タイガースの同窓会だった。

「ひとりぼっちのあいつ」をいい曲だなと思ったし、サリーさんのベースギターが、ヘフナーだったり、要は「ジュリーが好きな音楽だったら僕も聴いてみよう」という気持ちで、ビートルズのレコードに手を伸ばしたわけだ。

 

最初に手にしたのはなぜか「レット・イット・ビー」。それと赤盤青盤は予算の都合で買えなかったけど、一枚組のベスト盤「オールディーズ」。

初心者にアルバム「レット・イット・ビー」はあまりオススメできない。

僕に運命的な興奮を与えたのは「オールディーズ」のほうだ。A面の一曲目は「シー・ラブズ・ユー」。

 

ひと昔前のオーディエンスが、リアルタイムでビートルズから受けた衝撃はいかほどだったか。

僕が聴きだした1980年代には、音楽にも幅と奥行きができていたので、まだ耐性の弱かった当時の先輩方が受けたショックと比べたら、僕のそれなんて、戦国武将たちの「茶の湯」と、現代の「抹茶風味」くらいの差があるかもしれない。

 

しかしそれでも黒船をみた江戸時代の日本人のように、最大級のインパクトがあった。

10年以上、20年近く前のサウンドなのに、中身がぎっしり詰まっていたからだ。

 

楽器やレコーディングの機材なんて、80年代初頭と比べてもずいぶんショボいだろうし、ランディ・ローズやエドワード・ヴァン・ヘイレンのギタープレイと比べたら、演奏の技術だって「まだまだ」なんだろうけど、補って余るほどの中身の詰まりよう。聴きどころが満載で、僕は彼らのメロディやアンサンブル、革新的な遊び心にすっかり魅了されてしまった。

 

夜中に叫びだしたくなるような感動や発見。

ジョンのシャウトやポールのベースライン、何より楽曲の素晴らしさ。独特なリンゴのドラムに、いつも斬新なジョージ。

そして名盤、名曲と呼ばれている曲なのに、じっくり聴くと案外雑に弾いているところ。

 

ビートルズのレコードは全部買わなくちゃ。

ダビングとかじゃなく、現物を持っておくべき。

お年玉をつぎ込めばなんとかなるかな、くそー、なんでうちのオヤジやオカンは友達が少ないねん、今すぐ社交界デビューして「年玉」をくれる友達を百人作ってこいよ、入学前の小学一年生でもそのくらいの意気込みがあるのに不甲斐ないなあ。それに爺ちゃん婆ちゃん、もっと子供産んどけよ!「一郎おじさん」から「十郎おじさん」くらいいたらもっと助かるのに。

まー、足りない分は塾の月謝でいいや、どうせ勉強なんかしてるヒマなんかないねんから。


というのがその頃の僕の思考。我ながら情けない。こんなのが自分の息子に勉強しろ、無駄遣いするなと叱ってもムダである。

 

「その代わり」と言っちゃ何だが、実はうちの息子は胎教の段階からずっとビートルズを聴かせて育ててきた。嫁のお腹に小型のラジカセを押し当て、早く「同志」が産まれることを待ち望んだ。「オレがおらん間もお腹の子にはビートルズを聴かせといてな」と嫁に懇願して、十月十日、毎日ビートルズ。まあビニールハウス内で野菜にビートルズを聴かせると旨みが増してよく育つと何かで読んだことがあるからだけど。

 

おかげで安産このうえなく、分娩室に入ってから十分もたたないうちに産まれ(嫁に用意された病院食のカレーコロッケ1個を食べている間)、子守歌がわりのビートルズのおかげで、夜泣き疳虫もなく健やかに育った。

 

だから彼には僕のように「いつからビートルズを聴いているか」という時間軸がない。強いていうなら平成3年生まれだから、平成2年くらいか。でも本当はもっとその前に、脳内に「ビートルズを聴かずにはいられない」という受容体が形成された僕のDNAを受け継いでいるのだと思う。

  

おかげさまで息子も齢28。その甲斐あって、皆さんご承知のとおりのジュリーファンで、しかもビートルズマニア。僕にはお年玉をくれる「一郎おじさん」も「十郎おじさん」もいないけど、今じゃ息子がビートルズのCDを買ってくる。こないだはリンゴの新譜を買ってきた。


40年近く、ずっとビートルズを聴き続けているんだけど、まったく飽きることがないし、リマスター盤や未発売音源とか、マニア心をくすぐられる「商品」も、いまだにリリースされ続けている。

(僕は正規のアルバムは「作品」、それ以外のものは「商品」と呼んでいる)


出会ってこのかた、ビール飲んだり、米を食べたりするように、ビートルズを聴くことは、自分にとってごく当たり前の日常。(もちろんジュリーの音楽も)

 

逆にまだビートルズに出会っていない人たちのことをある意味羨ましいと思う。

それはまるで冒険に旅立つ若者を見送る老人の心境に近いのかもしれない。

いいか若者よ、心が「いい音楽」と出会うと、素晴らしい反応が起きる。理不尽な世の中を強かに生き抜くエネルギーを貰えるのじゃ。

 

さて問題は50年前に解散しメンバー4人のうち半分が鬼籍に入っているバンドだということ。

しかも今ではビートルズは学校で習うらしい。

月謝の使い込みがばれ、塾に行くのを辞めさせられてしまった僕とはえらい違いだ。(内心喜んだ)

 

勉強してはいけない、心と耳で感じなければならない。それは最新のハイクオリティなオーディオ機器でも、ノイズ混じりのしょぼいスピーカーからでも条件は同じなんだよ。心で聴くならね。

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フェニーチェ堺で

https://www.fenice-sacay.jp/event/mezamashiclassicsinsacay/


僕にとったら畑違いですが、

フェニーチェ堺の音響も気になるし、

クラッシック音楽を堪能してきます。

どなたかご一緒しませんか。

ちなみに12月1日(日)のほう。


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映画「イエスタデイ」

映画「イエスタデイ」を見てきました。

英国人でなくとも、

あらためてビートルズの楽曲の素晴らしさを再認識。

随所にニヤリとさせる演出もあり、

ビートルズ好きにはたまらない作品ではないでしょうか。


若干ネタバレになるけど、

78歳のあの人にも会えて、胸が熱くなりました。

どうせならあの楽器を使えばいいのに、と思ったら、

ビートルズがいなければあの楽器たちも世にないのだね、

タバコがないのもジョージがいないから?などと、考えさせられる要素満載。


ビートルズが大好きな人はもちろん、

ビートルズをよく知らない世代にもオススメの作品です。

もう一回観たい。


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職務質問で赤面

新元号も発表されて、
いよいよ平成も終わりに近づいてきました。

そして裕也さん、ショーケンと、
ひとつの時代を締めくくるように、
あちらの世界に旅立たれました。

残された僕たちはとてもさびしいですが、
令和もジュリーとともに拳を振り上げて、
ROCKに過ごしたいと思います。

おふたりのご冥福と、
あちらでの盛り上がりをお祈り申し上げます。

さて最近あった不思議なことといえば、
車を運転中、2週続けて警官の職質にあいました。

窓をあけて「何か?」と訊くと、
1回目は「シートベルトをしていないように見えた」で、
2回目は「道に迷っているのでは?」だった。

で、不思議なことに1回目のとき車で流れていたのは、
「太陽にほえろ!」サントラの「怒りのテーマ」。
2回目は偶然にもPYGの「俺とお前」だった。
この奇妙な一致、なかなかのものだと思うんだけど、
その数日後にショーケンの訃報。

職質されたのは、僕が不審に見えたから?
確かにそれなりの音量で、
ノリノリで「太陽にほえろ!」を聴くおっさんは、
ある意味不審かもしれない。

でもこれが有名な刑事ドラマのサントラだとは、
いまどきの警官は知らんだろうし、
僕が七曲署の刑事を気取っている最中だとは、
誰も気づくわけなかろう。
内心かなり恥ずかしくて赤面していたと思うけど。

後日、知り合いのおまわりさんに「こんなことがあった」と話すと、
たぶん同じ車種が何かでマークされているのでは、とのこと。
ヤクの売人か何かか?
そして呼び止めたものの、
こんな人の好さそうなおじさんが、
怪しげなBGMを大音量で聴きながら、
なぜかモジモジ赤面していたわけだ。

現在、愛車ボロロン2号では、
ジュリーの新曲と
ショーケンの「熱狂雷舞」と、
裕也さんの「さらば愛しき女よ」を流しています。
ときどき、一緒に口ずさんだり、
ときどき、泣きそうになる。

誰かこんな情緒不安定な僕とドライブするかい?
 
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ショーケン
信じられない。
嘘やろ!
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内田裕也さん

内田裕也さんが亡くなった。

ショックで言葉が出ない。

ただ、裕也さんがやってこられた
すべてのことに感謝。

あっちでみんな待ってる。
ロックンロールを続けてください。

そしてサワダをずっと見守ってください。

本当に本当にありがとうございました。
 

(2011年3月26日、大阪ミナミで撮影 裕也さんと偉大な仲間たち)

 

※ そういえば生前に裕也さんは
とある葬儀会社と葬儀権(?)譲渡の契約をしたと、
人伝に聞いたことがあります。
葬儀用の映像も撮り終えていたとのこと。
契約金もケタはわかりませんが、69(ロック)な金額だそうです。

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ギターマガジン8月号

ギターマガジン8月号に
井上堯之さんの追悼記事が載っています。
けっこう内容が濃いです。オススメです。

 

ロックジェットもぜひチェック!
ジュリーの記事&堯之さんの記事

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伊藤銀次さんの自伝

僕が「伊藤銀次」という名前を知ったのは、
「G.S.I LOVE YOU」のクレジット。
「佐野元春」との出会いでもありました。
小学生から中学生に変わる頃、
この出会いは僕の音楽人生にとって、
大きなインパクトがありました。
何しろ、音楽への興味がどんどん広がる機転になりましたから。


中3の頃、音楽準備室にあるガットギターで、
「I'm in Blue」を弾き語っていたら、
「吉本君、すごい!」と
若い音楽の先生に褒められました。
教師に認められたことがなかったので、
すごく嬉しかったんだけど、
その先生が伊藤銀次さんの後輩で、
「いつか銀次さんに会わせてあげたい」なんて
言っていただきました。
実現はしなかったんだけど・・・。


高校の生徒会室で銀次さんの
「彼女のミステイク」を弾き語っていたら、
現国の先生が、
「伊藤銀次とは同級生だから会わせてやりたい」と。
これも実現はしなかったんだけど・・・。
(ちなみに僕はふざけて生徒会選挙に立候補したら、
圧倒的な支持率で当選してしまい、生徒会長を2期務めました)


ただこの恩師が銀次さんの後輩であったり、
同級生であったりしたことで、
伊藤銀次さんに対してとても親近感をおぼえました。


現在、facebookで伊藤銀次さんと「おともだち」。
誕生日に銀次さんにメッセージをいただいたり、
ときどきコメントに返信していただいたりして、
(「アルシオネ」誕生のエピソードを教えていただいたぜ!)
恐縮&感激しているんですけど、
そのたびに「G.S.I LOVE YOU」での出会いの思い出が、
この年になっても鮮明によみがえります。


さて、伊藤銀次さんの自伝「MY LIFE, POP LIFE」。
この本、とても読み応えがあります。
皆さまもよろしければ!


Part 1 誕生〜幼少期の音楽体験
Part 2 ロックの洗礼を受けた中学~高校時代
Part 3 ドロップアウトと「伊藤銀次」の始まり
Part 4 ごまのはえデビュー~ココナツ・バンクの挫折
Part 5 福生から都心へ――セッションに明け暮れた時代
Part 6 松原みき、佐野元春――ギタリストからアレンジャーへ
Part 7 沢田研二とのレコーディング:1980-1982
Part 8 激務の合間を縫って始まる二度目のソロ・キャリア
Part 9 ポリスター末期〜東芝EMIイヤーズと「イカ天」
Part 10 ウルフルズと90年代〜2000年代初頭のプロデュース・ワーク
Part 11 2000年以降〜現在までの活動
対談:伊藤銀次×上原“ユカリ"裕


 

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井上堯之さん

井上堯之さんの訃報を知り、
ゴールデンウィークどころではありませんでした。
とても寂しい気持ちです。


僕がはじめてギターという楽器を意識したのは、
(キカイダーや怪傑ズバット以外で)
小学生の頃、ベストテンでジュリーの曲を聴き、
毎回アレンジが違うことに気がついてからです。


それは僕にとって、ジュリーのシングルが、
他のクラスメイトのように、
ただの歌謡曲や流行歌としてではなく、
「バンドサウンド」に変わった瞬間です。
中でもジュリーと背中をくっつけてソロを弾く堯之さん。
「カッコいいなぁ〜」と思いました。


当時の使用ギターはギブソンL6-S。
エンドース・アーティストはカルロス・サンタナ、
ギブソンでは珍しいメイプル指板の24フレット仕様。


おもにライブ盤や動画を参考に
ジュリーのギターパートをコピーするのが僕の趣味なんだけど、
堯之さんの音に似せることって難しい。
(あの繊細なタッチを真似るなんておこがましいけど)


とくに「ロックンツアー‘79」なんか聴くと、
さすがレインボートーンのL6-S!
コントロールを駆使して、
さまざまな音色が飛び出してくる。
僕もぜひどこかで試奏してみたいですが、
機会がなくて・・・。


ジュリーの楽曲はギターのフレーズが印象的なものが多く、
聴きこめば聴きこむほどに奥が深い。
まず最初にそれを教えてくれたのは、
やはり堯之さんです。


あと堯之さんのギターで個人的に気になるのは、
「太陽にほえろ!」のイントロのサイレンみたいなところです。



(↑この動画でまた泣けてきた)


日本のロックを作ってきた偉大なミュージシャンが、
次々と旅立たれます。
あの方々の功績は計り知れません。
音楽を愛する者として、本当に感謝です。
遺していただいた音楽から、
これからも元気と勇気をもらい続けたいと思います。


井上堯之さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 

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思いつくままオールド・ガイを

OLD GYUS ROCKということで、
思いつくままにロックなオールド・ガイを挙げてみました。
「何歳」って意識したことはなかったんですけど、
まだまだ現役の人もいてすごいです。


バディ・ガイ 1936年7月30日(81)

ミック・ジャガー 1943年7月26日(74)
キース・リチャーズ 1943年12月18日(74)
チャーリー・ワッツ 1941年6月2日(76)
ロン・ウッド 1947年6月1日(70)

ポール・マッカートニー 1942年6月18日(75)
リンゴ・スター 1940年7月7日(77)

ロッド・スチュワート 1945年1月10日(73)
ジェフ・ベック 1944年6月24日(73)
エリック・クラプトン 1945年3月30日(72)
ジミー・ペイジ 1944年1月9日(74)

ジョン・メイオール 1933年11月29日(84)
ジンジャー・ベイカー 1939年8月19日(78)
ピート・タウンゼント 1945年5月19日(72)
ロジャー・ダルトリー 1944年3月1日(73)
デイヴ・エドモンズ 1944年4月15日(73)
アンディ・サマーズ 1942年12月31日(75)
エルトン・ジョン 1947年3月25日(70)

スティーヴ・ハウ 1947年4月8日(70)
デヴィッド・ギルモア 1946年3月6日(71)
ロジャー・ウォーターズ 1943年9月6日(74)
ロバート・フリップ 1946年5月16日(71)
ピーター・グリーン 1946年10月29日(71)
トニー・アイオミ 1948年2月19日(70)
リッチー・ブラックモア 1945年4月14日(72)
サミー・ヘイガー 1947年10月13日(70)

ボブ・ディラン 1941年5月24日(76)
ニール・ヤング 1945年11月12日(72)
ウィリー・ネルソン 1933年4月29日(84)

ポール・サイモン 1941年10月13日(76)
アート・ガーファンクル 1941年11月5日(76)
スモーキー・ロビンソン 1940年2月19日(78)
スティーヴ・クロッパー 1941年10月21日(76)
ブッカー・T・ジョーンズ 1944年11月12日(73)

ただね、やはりジュリーですよ。
あのパワフルなライブ、50曲歌うんですからね!
ロックを愛する者として、
ジュリーは上記のロッカーたちをしのぐ、
オールド・ガイズ・ロッカーだと思います。

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