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懐かしきチヨスタ

僕が中学、高校の頃までは、男女間のレクリエーションといえばボーリングしかなかった。何しろ未成年には「飲みに行く」という選択肢はなく、カラオケボックスもない。つまりナウなヤングを気取る河内長野の若者グループは、「チヨダスタジアム(通称チヨスタ)」というボーリング場で青春を謳歌するしかなかったのだ。

 

ところが僕はボーリングがまったくダメ。「ダーリング」のほうが断然いい。見ず知らずの他人が指を突っ込んだボールとか、誰かが履いたシューズのムレ感が苦痛だし、我慢したところで1ゲームを真面目に続ける根気ゼロ。大雑把な性格はスコアを競うゲームに向かないのだ。

 

なのに仲のいいグループに最低ひとりはプロボーラー気取りがいて、女子にいいところを見せるためにボーリング大会を企画しやがる。

 

ボーリングなんてやりたくないのに、学校での制服姿しか知らない女子たちの私服に釣られてホイホイ参加してしまう僕。特に意識したことのなかった子でも、うっすら化粧をしているだけでドキリとしてしまう安上がりな単細胞生物。

 

ゲームは男女混合のチームを作って競うんだけど、僕が歓迎されていないことは肌で分かる。何しろ僕が加わるだけで最下位は決定なのだ。ストライクやスペアーのあとのガーターやピン1本など、みんなから「あ〜あ•••」と失望のため息。勝気な女子に「アンタ、もっと真面目にやりぃや!」と叱られて、「い、いや、ギタリストは爪が大切やから•••」なんて口ごたえするも、「そんなギターならやめてまえ!」と一喝される始末。

 

しかし実力で勝てないなら、敵の失敗を誘うのが兵法の基本。心理的な動揺を狙うのがセオリーなんだけど、僕の友人たちはいつも動揺している不審者ばかりだからそれは意味がない。そこで有効になるのが、「ぷぅ〜う!」である。

 

「ぷぅ〜う!」は関西だけなのか、あるいは河内長野だけなのか、はたまた小山田小学校卒業生だけなのか、とにかくここ1番の場面を迎えてリキんだ相手の背中に、裏声で「ぷぅ〜う!」(アクセントは語尾)と投げかけると、力が抜けて腰が砕ける魔法の呪文。外野フライは落球するし、シュートは外し、跳び箱は踏み足を間違え、水泳では鼻に水が入り、牛乳は鼻から噴き出す。

 

間の取り方にコツがいるんだけど、ボーリングの玉が手から離れる瞬間を狙って、渾身の「ぷぅ〜う!」を相手の背中に叩き込むと、大抵のヤツはミスをして、こちらを振り向きざま、「おい!」と恨めしそうに睨む。


「ごめん、ごめん、悪かった。もう絶対に言わへんから•••」、「ホンマやろな」、「うん、絶対にぷぅ〜うって言わへん!」というやり取りに持ち込んだら、もう「ぷぅ〜う!」の威力は底なしである。次の投球時には、ややボリュームを絞った「ぷぅ〜う!」もしくは「すぅ〜」が抜群の効果を発揮する。

 

そんな感じで緊張がほぐれて、僕の得意なオモシロな雰囲気になると、困るのはプロボーラー気取りの発起人のほうだ。女の子にいいところを見せたいんだけど、ひとりだけ本気モードはかえって逆効果。「アイツもふだんはいいヤツやねんけど、ボーリングが絡むとな•••」などとフォローにならないフォローを入れる。空気を読み、その空気を変える僕の戦略が一枚上手。イヤなヤツだな、僕って。

 

ただあまり中学生の男女が和気藹々、楽しそうにやっていると、隣のレーンのお兄さん達からイチャモンをつけられるのが難点。そういうときは一応、その場で素直に謝っておいて、リーダー格がトイレに立ったら、背後から排尿中のお尻に「カンチョー!」の一撃を喰らわし、ズボンをびしゃびしゃにしてやるのが吉本くん流。「別にこっちでも良かってんけど•••」とコーラの空瓶を大袈裟に振りかざす仕草を見せたら報復もされなかった、40年前のチヨスタの話。

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背中の痒みブルース

乾燥などにより背中が痒くなる頻度が増えたのは加齢によるものか。妙に一点が痒くなるときがあって、掻こうとするんだけど、カラダが固くなったせいで思うように手が届かない。


上着を脱いで、痒みの一点に集中し、いろんなポーズをとりながら手を伸ばすんだけど、あと数センチ、酷いときには数ミリの位置で、町娘にインネンをつけているところ、通りすがりの杉良太郎に腕を捻りあげられた時代劇のチンピラみたいに、肩の付け根が「イテテ•••」となって「ちくしょう、覚えていやがれ!」と吐き捨てたくなってしまう。


血が滲むくらいボリボリと掻きむしったらどんなにか気持ちいいだろう。年々、柔軟性が無くなっていく自分のカラダが恨めしい。自分の腕の守備範囲が佐藤テル並みになっていくのを感じて寂しくなってしまう。あと数センチで届くのに、辿り着けないもどかしさ。人生の縮図的な悲しみを感じてしまう。


百均で買ってきた孫の手はやたらと冷たいし、誰かに掻いてもらっても的外れだったり、強さが物足りなくて、余計に心が騒がしくなる。

 

じゃあ、痒みはずっとそのままかと問われるとそうでもなく、案外、何か他の用事をしているうちにすっかり忘れてしまっている。あんなに大騒ぎしていたものは一体何だったのか?だけどそれを思い出した途端また痒くなる。波のように寄せては返す「背中の痒みブルース」。だから厚着とヒートテックの肌着は嫌いだ。早く暖かくなればいいのに。

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吉本くんの冒険

一部の方から続編をせがまれるので、興味のない方はスルーして下さい。


《「苗字で危機一髪」の続き》

奥野くんが「映画の友」という雑誌を推したおかげで、僕のニックネームが「エロ本」になることは無事に回避できた。しかし肝心の「映画の友」の中身がどんなものか知らなかった僕は、後日わざわざ離れた町の本屋に確認しに行った。

 

こいつは劇薬だった。「映画の友」を手に取ったことにより、僕の興味は成人映画一色になってしまったのだ。いままではHな映画館の看板やポスターはさりげなく横目で眺めるだけだったのに、この雑誌のせいで、成人映画や女優の情報が、黒船来航や文明開化くらいの勢いで大量に飛び込んできた。

 

その頃はまだHなビデオもない時代。大人になったら「11PMのテレビクルー」になりたいという夢を抱くほど、「動く裸女」に憧れていた僕にとって、成人映画はまさに夢の到達点だった。

 

寝ても覚めても四六時中、脳裏に作品タイトルと主演女優の名前が次々と浮かんでくる。これは自分でもさすがにヤバいと感じたので、エロ同志であるFに思いを打ち明け、一緒に観に行くことにした。

 

障壁は中2にしてすでにオッサンの風格を帯びているFに比べ、僕の見た目があまりにも中学生すぎるという点。成人映画には年齢制限があるため、まずは成人に変装しなければならないけど、僕の私服はサーフィンブームに乗じてBOLTのトレーナーが一張羅だったので問題外。

 

どうすればオッサンに見えるか思案の結果、ポマードをネトネト塗りたくって毛髪を頭皮にペタペタはりつけ、Fのお爺ちゃんの千鳥格子のブレザーと農作業ズボン、ラクダの肌着を借りることにしたのだが、これで眼帯でもすれば丹下段平である。


さすがに余計に怪しいということで変装を諦めたが、3年生に「ピンク界の聖子ちゃん」として有名な寺島まゆみさんの熱烈なファンがいる噂を聞きつけ、勇気を振り絞りコンタクトを取ってみると、先輩曰く「映画館はさりげなく通れば余裕」ということらしい。生徒手帳を見せるわけにもいかないから学割は使えないゾと言われたが、そのくらいは最初から分かっている。

 

かくして僕とFは、ある土曜日の昼過ぎ、千日前にあるガラガラの映画館で、念願の成人映画との対面を果たした。

 

のだが•••。

 

たまたま豪華3本立ての作品たちが良くなかったのか、あっけらかんとした濡れ場シーンには、妄想していた隠微さや妖艶さを感じられず、これなら土曜日ワイド劇場のオープニングのほうが想像力がムラムラ掻き立てられてヤラシイと感じた。


Fも「俺は漫画のほうがええ」と言っていたが、やはりエロは「現物」と「想像力」の両軸で成立するもので、情報量が多く、想像の余地のない映像は、よほど登場人物に感情移入しない限り、素人には思いのほか退屈なものなんだと、肩を落として帰った。ワイワイ騒ぎながら観れたら楽しかったかも知れないけど。

 

数日後、Fの部屋でエロ本を眺めていて、「おい、このページ上下に動かしたら、胸が揺れているように見えるぞ!」、「お〜ホンマや!揺れてるわ!」というアホな会話に戻ったとき、自分でも何か憑き物が落ちたような気がした。

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苗字で危機一髪

「吉本」という苗字は、ずいぶんイジられてきました。勉強ができなかったり奇行が過ぎるやつは「吉本行け!」と言われた時代、クラス替えをするたびに「吉本興業」だの「吉本新喜劇」だのと呼ばれていました。

 

しかし「吉本興業」なんて序の口。デリケートな年頃に、自分の苗字が大キライになってしまいそうな揶揄われ方があったのです。

 

それは中2のある日の出来事でした。よりによって国語教師の口から出たその一言は、いまなら一歩間違えればイジメや登校拒否に繋がる可能性さえあると思いますが、学校が嫌いにならなかった自分のアホさとクラスメイトの単細胞っぷりに感謝です。

 

その日、僕は日直でした。授業開始時に、「起立、礼、着席」の号令を発するのは日直の役目だったのですが、休み時間のたびに躍起になって各クラス(上級生のクラスでも臆することなく)をまわってジュリーの新曲キャンペーンと切り抜き回収に勤しんでいた僕は、チャイムから遅れて教室に戻り、うっかり号令をかける役目を忘れていました。

 

国語教師は「え〜っと、今日の日直は•••」と黒板の右端、日付と曜日の下に書かれた日直の名前をゆっくりと覗き込み、「•••おい、エロ本って誰や?」と、おそらくその教師のネタなんだろうけど、「吉」の部分を「士」と「口」に分割して、縦書きの「吉本」を「エロ本」と読んだのです、

 

「エロ」には過敏なお年頃ですからね。クラス中が大爆笑。友人たちが僕を指さして「エロ本!エロ本!」とコールがはじまり、ついには歌舞伎観劇の「◯◯屋!」みたいに、「エロトピア!」とか「GORO!」、「スコラ!」などと口々に商品名を挙げ出すしまつ。バカでしょ、みんな。隣のブリっ子が、汚いものでも見るような顔を僕に向けて「イヤ〜!」と呟いた。

 

ちょうど思春期をこじらせて色気づきだした僕は、こっち方面でイジられるのだけは非常にマズイ。中身はエロ探究の権化、いわゆる「ムッツリ」のくせに、女子の前では猫をかぶってサラサラヘアーの爽やかな好青年を無理して演じている努力が台無しです。

 

友人たちが「平凡パンチ!」、「プレイボーイ!」、「アクションカメラ!」などと、赤面している僕を揶揄う中、普段は目立たない奥野くんが、声変わりもしていないよく通る声で、「映画の友!」と発した途端、一瞬の静寂。男子生徒全員が「•••ん?」。

 

ひと呼吸おいて一斉に「それはちゃうやろ!」とツッコミの嵐。「映画の友」ですからね、タナカの「旅行の友」と同じく、家族向けの健全なものに決まっている。矛先が「僕」から「奥野くん発言」にチェンジしたことで、イジメの危機を逃れることができました。

 

後日、本屋で「映画の友」のページを巡ってみると、あまりのエロさに思わず一冊買ってしまいました。確かに日本で公開される邦画の本数は「角川」よりも「にっかつ」。「水のないプール」がどんな内容なのかも、「映画の友」は詳しく教えてくれました。声変わりもしていない奥野くん、侮りがたし。


↑「水のないプール」公開時、先輩方は観に行かれましたか?女性には少し抵抗があったと思いますが、よければどなたか「思い出話」など教えてください。


次回作「吉本くん映画の友を片手に成人映画に行く」に乞うご期待!(嘘)

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ミーハーねーちゃんと僕

「あっゴメ〜ン、アタシって洋楽しかノレない女なの」

 

いきなり人のヘッドフォンの片方をひったくっておいて、このアマ、何を言い出しやがる。そりゃ確かに周囲に「憂歌団」に酔いしれている高校生なんていなかったけど、不躾にも程がある。

 

彼女が下敷きにリマールやワムの切り抜きを挟んでいるのは知っていた。洋楽っていったって、所詮はビジュアル最優先の流行りモンだけだろう。僕が内外の音楽に詳しいことを聞きつけ、席替えで隣合わせたことを幸いに、マウントを取りに来た自称音楽好きの女。

 

やたらと「アレの新曲はもう聴いた?」なんて挑戦的な態度を取る。「お前が興味を持つものなんかハナから関心がない」と応えたところで、「何ムキになってんの〜」と鉄壁の防御力をみせられたときには返す言葉すらない。

 

僕は心の中で、彼女のことを「ベストヒットUSA女」とか「ミュージックライフ女」と呼んでいた。ミーハーな彼女のネタ元なんて、大抵このふたつだったからだ。


そもそも僕はその頃、リアルタイムなトレンドを追うより、80年代前半、70年代、60年代に遡ることに夢中だった。どうせ新しいものは放っておいてもあちこちで自然に耳に入るし、よほどの話題作ならば誰かにレコードやカセットをダビングしてもらえばいいだけの話だった。

 

そんなウザい彼女からの挑戦をかわしつつ無事に高校を卒業し、成人し、やがて僕も人の親になった。

 

あるときゴールデンウイークでごった返している泉南のオークワに買い物に出掛けたら、店内でキャラクターショーが開催されているのに出くわした。せっかくだからと僕も幼い息子を肩車して客席の後ろに立った。

 

「♪アンパンマンはキミだ〜」

と2人組のアイドルが歌っており、着ぐるみが後ろで踊っている。客席の子供たちは大喜びでヨダレを垂れ流しながら、一緒に踊ったり歌ったり、会場は熱狂の渦に包まれる。


ふと客席の最前列を見ると、子供そっちのけで、拳を突き上げながら、ノリノリで踊っているファンキーなお母さんがいるではないか。明らかに他の親より浮いている。どこかの密林でスピリチュアルな踊りに興じる先住民のトランス状態のように、一心不乱にお尻を振り続けており、もはや「解脱」の域に達しているといっても過言ではない。

 

•••あいつだった。

僕の脳裏にあのときの、

「あっゴメ〜ン、アタシって洋楽しかノレない女なの」

という言葉が浮かんできた。

 

「洋楽ちゃうやん!」

と文句のひとつも言ってやりたかったけど、彼女のあまりの変わりように圧倒されてしまい、気づかれないうちにその場をあとにした。


チクショー、それにしてもいいノリしてたぜ。

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おせち料理って

何を隠そう、僕は「おせち料理」があまり好きではない。

泥臭い根生の野菜、酢の物、魚や海産物の加工品•••。どれも冷たくて味にパンチがなく酒のツマミにもならない癖に、やれ芽が出るだの、先が見えるだの、豆々しく動ける、金運上昇、子沢山だのと、説教じみた余計な主張をしてくる。

ひとたびウンザリしてしまうと、それらは縁起物とは名ばかりで、新年も早々に僕に劣等感とプレッシャーを抱かせるための呪物ではないかとの疑いが止まらない。現に「おせち料理」なんかアテにしてきたせいで、長年先は見えず金運にも見放され続けているのではないかと。

同じ理由で、僕は節分の「巻き寿司丸かぶり行為」を人類の「醜態」の最たるものとして軽蔑しているのだが、そんな間抜けな表情で願いが叶うと信じているのか。巻き寿司は「断面」を愛でながら、行楽地や運動会のゴザの上で家族とワイワイ食べてこそ本来の意味を成す。

半世紀の間、毎年「おせち料理」と向き合ってきた者として言わせて貰えば、正直、大晦日に嫁が煮炊きしている「作りたて」の熱々をつまみ食いするのが一番美味い。ビールのアテや白ごはんのおかずとしてガツガツかき込むのもいいのだが、一晩安置されて死後硬直のはじまったそいつらには何もそそられない。

歴史を紐解けば、そもそも古来の日本にそれほどの物流があったのかも疑問である。伝統ではないものが、バレンタインのように誰かのウソにより伝統にされてしまった可能性はないだろうか。「正月の餅代」という言葉はいまもニュアンスが通じ続けているから、正月はお餅だけ食べていれば良かったはずだ。

「おせちもいいけどカレーもね」というCMコピーは秀逸だと思っている僕は、ふだんはそれほど欲しくないのに、お正月になるとなぜかやたらとジャンクな食べ物が欲しくなる。からあげクンやアメリカンドッグ、チープなインスタントラーメン、てりやきバーガー、熱したオイルサーデンなどを無性に欲してしまう。

どんなにジャンクなものでも、「熱々」や「ホカホカ」であれば、どんな「おせち料理」に勝るというのが、ブレない僕のジャッジである。

逆に本来は常温で食べるべき「弁当」を、付け合わせの梅干しとかパセリとか漬け物とかフルーツまで無理やりチンして温めるくせに、冷たい「おせち料理」に舌鼓を打つ皆さんの味覚センスのほうがブレているのだ。

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年賀状の思い出

早いものでもう年末。日常は何も変わらないのに、やたらと気忙しく感じる季節。忘年会を企画する者もおらず、昔ほど12月が好きではなくなってしまった。

中学の時分は、年賀状に尋常ではないほど情熱を注いだ。パソコンやプリンターのない旧石器時代は、もっぱら自分の筆だけが頼りだが、僕は女子たちからロックとギターが好きで、面白くてお洒落に思われたいという願望が強かったため、音楽雑誌のイラストなどを模写して、色鉛筆や水彩絵の具でカラフルにしたり、思い出すだけで赤面してしまいそうな熱いメッセージを添えた。さすがに全員ではないけど。

男子への年賀状は、いかに笑いを取るかが最重要課題だった。いろいろとアイデアを考え、それを一枚のハガキで具体化していく作業は、「受験勉強を一切やらないで高校に行く」という僕のこだわりを後押しするものだった。

10代の僕は多少の絵心もあったので、教師たちの似顔絵に無茶苦茶なセリフを充てたり、架空の誰か(たとえば架空のプロ野球チームのホームラン王など)になりきって意味不明な新年の抱負を書くなど、ここぞとばかりにボケにボケまくった。

元旦当日はとにかく郵便ポストを見に行くのが楽しみで、家族の誰宛て、あるいは僕と同い年で隣家に住む従兄弟に届くハガキの枚数よりもはるかに多いことが誇らしかった。

彼に恨みはないが、従兄弟とは小中学校の間、常に比較され、何もかもすべてが彼に劣っている風に扱われ、親や親戚全員、教師たちから日々理不尽な虐待を受けて育ってきた。

子供の頃に僕が奴らにされてきたことを書き綴って映画化すれば、「全米を泣かす」ことなど容易だけど、そんな重圧を笑い飛ばす力をくれたのは、当時のアホな悪友たちであり、僕をこの世に引き留めてくれたことに、いまも心から感謝している。

ところがそんな悪友たちを笑わせるために描いていた年賀状が親に見つかり、問題は起こってしまった。

それはHな劇画雑誌の1コマをハガキ一面に忠実に模写した自信作で、背後から豊満な団地の若奥さんをせめ立てる変態オヤジの顔部分だけを担任教師の似顔絵に変えた作品だったのだが、墨汁を乾かすため放置していたものが親に発見されてしまったのだ。

作品の作者として「あくまでこの絵の主役は担任の似顔絵なんだ」と主張したところで、頭に血の上った大人には理解されるものではない。

しかも最悪なことに、模写したコマは羽中ルイさんという作家のかなりクセのあるエグい絵だったため、年賀状にこんな不謹慎なものを描いて送る僕の精神状態を疑われ、小5のときに自傷癖の診断を受けたことがある頭の病院に連れていかれ、「受験ストレスによるノイローゼ」と診断されてしまった。受験勉強を一切やっていない僕が。

世間一般的には、受験のプレッシャーに押しつぶされて奇行に走ったというのが、頭を使わない大人たちの落としどころなのだろう。全身全霊をかけた僕のボケは、彼らからみれば立派な病気なのだ。従兄弟より遥かに劣る僕が金属バットを持っていなくて、両親はさぞ安心したはずである。その一件からは、あまり厳しく言わなくなったけど、息子が病んでいるかどうか、キチンと判断して欲しかった。

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クリスマスパーティーの謎

クリスマスパーティーとは何なのか、これは長らくの僕の疑問である。敬虔な信者は教会で静かにお祈りを捧げるが、外野席にいる人間は「聖なる」とはかけ離れた酒池肉林の乱痴気騒ぎを行う。ロマンチックのカケラなどあったものではなく、クリスマスソングよりも竹内力の「欲望の街」(『ミナミの帝王』主題歌)のほうが相応しかろう。

我が家のクリスマスは、子供好きする唐揚げをメインに定番の味噌汁をすすり、食後にはケーキ。サンタさんではなく親と祖父母からプレゼントを貰い、そのあとは平常どおりテレビをみて、風呂に入って、屁をこいて寝る。

昔、お菓子の詰まった長靴を親にねだったことがあるが、親父曰く、「こんなもんボール紙の長靴が高いんや。お菓子はバラで買うたほうが安い」らしいのだが、バラで買ってくれることはなかった。僕は単純にあの長靴を履いてみたかっただけなのに。

大人になれば、粋でオシャレなクリスマスパーティーに参加できると信じていた。大きなツリーに七面鳥。シャンパンを開ける音、クラッカーの紙吹雪、ドレスアップした淑女とチークタイム•••。そんなロマンチックなど一度たりとも経験したことはない。

高校の頃、柔道部の部室でクリスマスパーティーを企画してやったことがある。冬休みの朝練が終わると、部員たちに自由に食べ物を買いに行かせ、バイト料の入った僕は予約していた特大のクリスマスケーキを取りに行った。彼女へのプレゼント代よりも高くついたけど、可愛い部員たちへの大奮発。

ケーキをさげて部室へ帰ると後輩たちも戻っていて、買ってきた飲食物をひろげようとしているんだけど、自由にしたのが悪かった。大半がポテトチップスとホームサイズのコーラという機転の悪さ。せめてこういうときこそ「リッツパーティー」くらい思いつけよ、と文句を言ったところでどうしようもない。

ひとりに一袋のポテチを当てがい、いざパーティーだと部室の板の間に車座になったのだが、もちろん部室に暖房器具などない。暮れの河内長野の寒さを舐めてはいけない。寒さと昼食どきの飢えで、奥歯を鳴らしガタガタ震えながら、かじかむ手でバリバリとポテチをむさぼる部員たち。

たまりかねて、「ほな、そろそろケーキでも切らんかい!」と後輩に命じたのだが、「先輩、刃物がありません!」。

恥ずかしいことに、僕はホールケーキにはもれなくアルミの薄っぺらいノコギリみたいなのがついているものだと思い込んでいたのだが、いくら探しても付属品は数本の蝋燭だけだった。

後輩たちに切るものを探させたのだが、柔道部の部室から都合よく包丁が出てくるわけでもなく、誰かが「定規じゃダメですか」と提案してくる。「しゃーない、それでいけ!」と許可したものの、「あちゃー、冬休みなので持ってきてませんでした!」、「な、何ーっ!」などと騒いだものの、部室のあまりの寒さに耐えられず、後輩たちに均等にケーキを切り分けることは諦めて、誰かひとりに持って帰らせることにした。

腹筋は笑いで鍛える愉快な柔道部として、安易なジャンケンで選別するなど許さないのが僕のこだわり。

なみなみと紙コップに注がれたコーラを一気飲みしたあと、ゲップを我慢しながらティッシュで作ったコヨリを使って先にクシャミをした方の勝ち。結果としてニキビ坊主のM下がいままで人類が発したことのないような音を立てて、豪快な鼻水とともにクシャミをして優勝し、「よっしゃあ!」とガッツポーズをして特大ケーキを持って帰った。ふだんからそのくらい気合いを入れていたら柔道も上達するのに。

クリスマスパーティーとは何なんでしょうね。僕はこのまま真のクリスマスパーティーを知らずに朽ちていく気がしています。

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図工の時間

小学生の頃、図工の時間が好きだった。絵を描くことではなく、後片付けのときに筆洗いバケツで色水を作ったり、そのバケツを遠心力でグルグル回すことに燃えていたからだ。

肝心の描画のほうは、根っからの集中力欠落のせいですぐに飽きてしまい、途中で自分が何を描いているのかすら分からなくなる。なので僕の場合は念のため画用紙は裏のザラザラした方から描き始めておいて、ツルツル面はやり直しに備えておくようと担任に言い渡されてきた。

「絵」はそういう感じで一応は下手なりに仕上げることはできたのだが、「版画」はそうはいかなかった。僕はあれが大嫌い。仕上がりも貧乏くさくて、掲示係が教室の後ろに貼り出すと、クラスの雰囲気までどんより暗くなる。確か自画像を描かされたとき、クラス全員の作品が苦悩していた。コントラストをつけやすいのは目と鼻の穴、みんな大きな白目と丸い鼻の穴で、不気味だった。

木の板に左右反転したものをサインペンで下書きして、彫刻刀で削る作業。刃物を扱っているだけに、ナーバスになった教師の威圧感が強烈で、版画のときは教室の空気が異様に重々しくなるのだ。

ところが僕の集中力は、地球で戦うときのウルトラマン並み。カラータイマーの点滅はすぐに切れてしまう。削った木屑を周囲の友人にふっと吹きかけたり、彫刻刀ケースに入っているバレンを頭にのせて「沙悟浄•••」なんて、熱心に作業をしている隣の女子を笑わせたくなってしまう。彫刻刀を触るときにやってはいけない見本のような不真面目。

しかし古来から「刃物を扱うときには慎重に」とはなるほどよく言ったもので、僕のようにバレンを眼帯のように片目を隠しながら木屑を量産することに熱中しすぎると、勢い余って左手の人差し指の付け根をザックリとやってしまう。

ポタポタと溢れ落ちる血のショック、周りの女子たちが「キャア!」と騒ぎだし、先生が駆けつける。とりあえず先生のハンカチで止血し保健室に行く段取りになるのだが、手の甲に巻きつけたハンカチがみるみる血で滲んでゆく。

顔面蒼白になりながら、ゆるゆると席を立つ。友人たちの心配そうな顔。教室の扉を閉める直前、僕はハンカチを巻きつけた手を友人たちに向けて振ってみる。もちろんあの歌を脳裏に浮かべてだ。

♪さよなら さよなら•••

 さよなら さようなら

教室に舞っていたのは風花や枯れ葉ではなく、木屑だったけど。

保健室で診てもらったら、傷は思いのほか軽傷で、ほんの少し皮がペロンとめくれていただけで、血も止まりかけていた。確かオキシドールかアクリノールで消毒したあと、僕は生まれてはじめて保健室で絆創膏を貼ってもらった。ふだんは赤チンすら塗ってもらえないのに。

教室に戻るときはさすがに気まずかった。何針か縫うレベルの負傷だと信じて疑わなかったのに、絆創膏一枚の不甲斐なさ。自分の大袈裟っぷりや臆病っぷりが情けない•••それでもクラスのみんなは温かい笑顔でこんな僕を迎え入れてくれた。ありがとう、みんな!

と思ったら、僕の筆箱と体操着入れの中に、クラス中のやつらの木屑がパンパンに詰められていた。

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謎のパーティー

皆さんは「リッツ」というクラッカーをご存知だろうか?日本では1971年から販売されているので、馴染みのある方も多数いらっしゃることと思う。

咀嚼すると口腔内の水分が奪われて、モサモサしてしまうアレだ。しかし軽く小腹を満たしたいとき、ビールのお供、ティータイムのひとときにと、なかなかの戦力を発揮する。何枚かに一枚、リッツ表面に結晶のような塩が付着しているやつが僕にとっての「当たり」だ。

阪神大震災以降、非常食としても注目されだし、カンパンなどと同様に備蓄している人もいるのではないだろうか。ただしリッツで空腹を満たす際には、かなり水分を消耗するはずだから注意が必要になる。

さてこのリッツに関して、僕は子供の頃からずっと腑に落ちないというか、疑問に思い続けていることがある。それは「リッツパーティを催している人は実在するのか」という点である。

テレビのCMでは、大原麗子さんにはじまり、加山雄三さん、後藤久美子さん、沢口靖子さんら錚々たる顔ぶれが、画面の向こうからラグジュアリーなリッツパーティーを推奨してきた。

銀製のトレイの上で、高級食材がトッピングされたリッツを挟み、煌びやかなドレス姿のセレブリティーたちが和やかに談笑している印象なのだが、インサイダー取引で何億円儲けたなどの痛快な話題も、口がモサモサして会話が弾むのかどうか怪しい。

下層階級の僕ごときがパーティーを主催するなど身の丈知らずなので絶対にやらないが、パーティーとはいかなくても、冠婚葬祭など大事な来客をもてなす場合、さすがに畑に相談してごま豆腐を作るわけにもいかず、京都パルスプラザいや清水の舞台から転落する覚悟の大奮発で、貯金を切り崩したり、夜のガード下に身をやつしたりしながらお金を作って、懐石料理や特上寿司をとったり、ホテルのコース料理の予約をする。

ところが仮に僕がお客様に「リッツ」を振る舞ったらどう思われるか?キャビアやイクラ、サーモンや真鯛のマリネ、フォアグラのソテーやローストビーフやシュリンプカクテル、レーズンバター、アボカドのディップなどを添えたとて、「マジか?吉本さんのとこリッツを出してきたで(笑)」とドン引かれるだろう。美食倶楽部からお越しの海原雄山先生に至っては「女将を呼べ!」と烈火の如く怒り出すに違いない。

なので「リッツパーティーなど現実にはあり得ないのでは」と確信し、CMを見るたびに「そんなワケあるかい!」と何年にも亘ってツッコミを入れてきた人生だ。

とはいえ、確かにリッツの上にベビーチーズを載っけたり、アイスクリームをすくって食べるだけで、なんとなくエレガントな気分が味わえる。「行儀が悪い」と嫁に叱られながらも、リッツにいろんなものを載せてみるのも、そこはかとなく趣がある。お菓子だけに「いとをかし」ではないだろうか。

ちなみにちょっと飲み足りず、小腹の空いた夜更けに、バーボンを飲みながら、熱したオイルサーデンにレモンを絞り、リッツに載せて食べるのが僕の密かな贅沢だ。

皆さんはどんなリッツの食べ方が好きですか?また「宅では月に1度はリッツパーリーを開催してよオホホホホ•••」という方がいらっしゃったら、乱入させてもらえないだろうか。

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