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「世界はUp &Fall」の思い出

「ポラロイドGIRL」からの快進撃は、「DOWN」、そして「世界はUp &Fall」へと続く。1990年、バブル最後の年だ。

 

バブルという乱痴気な時代。アメリカのロックフェラーセンターや映画会社を日本の企業が買い、世の中が「踊るポンポコリン」だった。


僕はバブルの恩恵などとは無縁の貧乏学生生活•••がイヤで、数ヶ月の間、東京の不動産屋で金持ち相手の賃貸マンションを売ってました。山手線沿いのマンションのワンルームが数億円、欲に駆られてフロア買いした高額納税者たちは、その後無事だったんだろうか。

 

で、大阪に帰ってきて、鍼灸学校に復学したんだけど、これがまったく馴染まない。スーツ姿で毎朝満員の山手線に揺られ、アポを取った顧客と面談して、節税対策の計算や物件の内見や契約に立ち会ったりしてると、鍼灸学生の既定路線だった裏口進路とか不正請求のために、たかが柔整師ごときに媚びる生き方がしょーもなくて醜くて、友人たちと距離が開いた。


さて、そんな激動の僕の耳に飛び込んできた「世界はUp &Fall」!


この曲はすごく尖っていた。僕の脳内でかつて東京上空を俯瞰していたパラシュートの男とダブってしまう。


タイトルどおり、曲の展開は目まぐるしく変わる。ギターコードの中でもとりわけヘビーなEmがガツンと攻めてくるあたり、さらにディストーションとコーラスの効いたDsus7が見事にスピード感を醸し出す。


この曲の間奏でボコーダーを介して言ってるコトバ。「rule of power 」なのか「rule of tower 」なのか、僕には正確に聴き取れないけど、そのあとに「kiss my ass!」と言っているのは分かる。英語が苦手でも悪口やスラングだけは分かるパンクな僕が解釈するところ、権力や富の支配に対して、かなり下品なコトバで「ふざけんな!」と言っているのだ。

 

乱立するガラス張りエレベーターのビル群は、まるで世界全体を包む乱高下の激しいパワーバランス。上昇志向はありつつも、同時にその危うさにも勘づいている主人公。近未来的ではあるが同時にしっかりとシニカルで現実的だ。

 

そして男はかつて「安らぎ知らない遊園地」を真っ赤に燃え上がらせたように、この曲のラストでも花火を準備している。


今にして思えば、バブル期のジュリーの楽曲は、それを憂いているものが多い。「Muda」のように逆手に取ったケースもあるんだけど、歌の内容よりも現実のほうが常軌を逸していて、さすがのジュリーも試行錯誤すれど、イマイチ傾奇(かぶき)きれなかった感も否めない。


イカ天に端を発する「バンドブーム」では、ジュリーの代表曲のひとつでもある「TOKIO」ですら、残酷な蹂躙を受けた。だからこそ「世界はUp &Fall」は生まれたのではと考えるのは、妄想が過ぎるだろうか。

 

カスでもゴミクズでもラッピングしだいでは何でも売れることへの反発。当時の吉田建さんの動きは、泉谷しげるのLOSER、そしてジュリーのJAZZMASTERで、ホンモノのホンモノによるホンモノを生ぬるい世俗に叩きつけるようで、僕はその天晴れな仕事に深い敬意を抱いた。

 

吉田建さんとのタッグには、ファンですら戦慄をおぼえるほどのジュリーの底力がある。傾奇き、弾けて、精力的に学園祭ライブをまわり、これぞROCKだというライブを体現した。

 

僕は「世界はUp &Fall」に、そんな反撃の狼煙に似た強い意気込みを感じ、何かの理不尽に立ち向かわなければならないとき、僕はいまだにこの曲にすごく元気をもらっています。

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「晴れのちBLUE BOY」の思い出

僕の55年の人生で、体型も精神もいちばん尖っていたのはおそらく中3、15歳の頃だ。まさにジュリーの名曲「不良時代」みたいな日々。

 

まあ反抗期ですわな。まわりもヤンチャを通り越してヤバい奴らが多かった。荒れてた時代ですからね。だけど僕は粗暴なだけよりも、知的で根明なワルでいたかったので、やりたくない受験勉強の代わりに、たくさん本を読んだ。

 

いろいろな矛盾に気づいた僕は大人たちに逆らって、毒づいて、言い負かしてやりたかったんだけど、大人は常に「頭ごなし」だった。僕の言い分には耳を貸さず、自分たちこそ全知全能だと言わんばかりに威張っていた。それがさらに愚かで哀れに見え、より小馬鹿にする対象となった。

 

また色気づいた僕には、好きな女の子がたくさんいた。ふだん一緒に悪さをしているブルーベリーガムの口臭がする子たちではなく、おとなしくて真面目な子と仲良くなりたかったけど、話しかけるキッカケも共通の話題もなく、ただ「女の子雑誌」に載っているジュリーの切り抜きをせがむだけだった。

 

つまりいくら読書をしたところで、僕の口から発せられる言葉は、いつもガサツなバカ話と悪態だけだった。本当は本から学んだことを饒舌に話したり、いろんな人たちと「会話」がしたかったのに、残念ながら僕はそんな柄ではなかったのだ。自分が空回りしていることに気づいているのに、軌道修正できないもどかしさが余計に苛立たせる。

 

「晴れのちBLUE BOY」と出会ったのは、僕がそんなフラストレーションを抱えていたときだった。ジャケットはまるで上官の命令を放棄した不機嫌な不良分隊に見えた。

 

邦楽では馴染みのなかったジャングルビートと旋律、エイドリアン•ブリューのようなエレファント•トークギター、僕の耳はすっかり釘づけになり、鼓動が高まった。

 

♪言いたいことはヤシの実の中

言いたいことはヤシの実の中

僕は花火よりひとりぼっち

 

はじめて聴いたとき、全身の毛が逆立ち、意味もなく「ワー!」と叫び出したいような、そこら中を走り回りたいような不思議な感覚に襲われた。

 

「これ、オレの歌やん!」

もちろんそんなわけはないのだが、剣道で面打ちをキレイに決められ、目から火花が散り、脳天にツーンとくるような衝撃に似ている。自分が直面していた悩みが、たった三行の歌詞によって打ち抜かれたのだから。

 

元々、「BLUE BOY」というコトバは、すでに佐野元春の「DOWN TOWN BOY」の歌詞で馴染みがあった。こちらは「愛を失いそうだと焦りながら、深夜映画館の前でその夜最後のナンパを試みるくわえタバコの少年」というリアルな設定だ。

 

しかし「晴れのちBLUE BOY」は、作詞者の銀色夏生と作曲者の大沢誉志幸がぶっ飛んでいるし、アレンジの大村雅朗はさらにぶっ飛んでおり、EXOTICSの演奏、そしてボーカルの不良分隊長はとんでもなくぶっ飛んでいる。この皆さんのぶっ飛び具合が痛快で心地良かった。何か新しいことがやってくるポジティブな予感、光が差してきた。

 

歌謡曲としてはあまりにもイカれ過ぎている。音楽性や歌詞の内容は一般リスナーに理解されるか?僕個人は勝手に鼻水が垂れてしまうほど大歓迎でお気に入りだけど、ピンク色のスヌーピーを腰からぶら下げて、こんなに暴れ回っても平気か?「沢田研二ショー」では小森のおばちゃまも大興奮。そして83年大晦日のパフォーマンスは伝説になった。


「晴れのちBLUE BOY」はいまでも僕をヤンチャな気分にさせてくれる。もっとも僕はすでにBLUE BOYではなく、「生きることに青息吐息のおっさん」と化してしまったけど、この曲はいつでも僕を15歳に戻してくれる。体型と髪の量も戻れたらもっといいのに。

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ROCKは続く

チケット入手も困難な昨今、重箱の隅をつつき、ちょっとポシャるとヒステリックに悪意ある記事を書き立てる者や、そいつにネタを提供している者の席に、代わりにもっとノリのいいオーディエンスがいれば、百倍すごいライブになっただろう。

 

そう、それがライブ(生)である。

 

モニターもなく、歌詞も見ずに、動き回って歌うのは超人的なんだぞ。そりゃ調子の良くないときもあるだろう。椅子に座って、耳にモニター差して、バンドの音量も控えめにして、歌詞を見ながら歌うか、口パクでも満足か?

 

仮に残念なライブだったとしても、そのときは一人で酒でも飲んで寝ればいい。わざわざ吹聴してどないすんねん。お前はナニ様やねんって話になりませんか?


いつも完璧なものを求める人は、自宅でDVDを見てればよろし。特に昔の映像は、コチラ側の著しい劣化を除いて何も裏切りませんから。

 

今回の記事にわざわざ過敏に反応するのがアホらしい。しかし溜飲は下げたいですよね。さあみんなで失笑し、こんな記事を載せてメシを喰らう週刊誌を蔑んでやりましょう。

 

「ウルトラセブン」は永遠のヒーロー、越後製菓の「サラダセブン」はビールのツマミに最適。それにひきかえ、「女性ナントカ」はいただけませんね。紙媒体なんて環境破壊。恵方巻きと同じくらいSDGSに反している(蛇足だがメディアはどうして神事でもないトチ狂ったカルト新興迷信を煽るのだろう)。


そのうえ記事の内容が不愉快ときたら、もう存在意義すら分からない。転売ヤー以外、誰も買わなければいいのに。 

 

まあ、この話題が拡がって、あいつらが「ダメだこりゃ」とチケット争奪戦から撤退していけば幸いだ。

 

僕はご本人がぶっ倒れるまでライブに付き合う。でもまだまだ大丈夫。ローリングストーンズやポール•マッカートニーのアクティブさを、あの「負けず嫌い王」が見過ごすはずがない。あのお方は心無い者に叩かれたあとが神がかって凄いのだ。だからこれからがますますロックだ。



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願望

昨日は「再び佐野元春さんとタッグを組んだジュリーの新曲が聴きたい」みたいな願望記事を書いてしまいましたが、実はもうひとつ僕には願望があるのです。

 

難しいとは分かっていても、コトバや文章で発しておくほうが、ただ黙っているよりかはマシだろうと、あえて書いてみることにします。

 

それは•••。

 

令和版の「JULIE SONG CALENDAR」が出たら卒倒するくらい興奮するんだけどなぁという願望です。


「JULIE SONG CALENDAR」そのものが「夜は気ままに」の番組内企画だから、実現なんて夢のまた夢なんだということは重々承知の上なんだけど、前作で詞を提供してくれた皆さんや、ジュリーをリスペクトしている著名な女性陣による歌詞にジュリーが曲をつけ、ジュリー温故のアレンジャー達が編曲を担当したら、凄すぎるものができるのではないだろうか。

 

昨年、僕はストーンズのニューアルバムを聴いて、やはりジュリーにもルーツを辿るような力強いニューアルバムを出して欲しいと強く思ったのです。

 

確かにいまのオーディエンスは、昔のヒット曲だけ歌って欲しいと願う人たちの比率が高いかも知れませんが、そうではないファンもここにいるってこと。

 

そりゃ僕でも、いままであまり関心がなかった人のステージを観ることになれば、知ってる曲を演奏して欲しいのが心情。それはよく分かります。

 

デイサービスでの歌モノの催し物は、誰が歌おうが坂本九と裕次郎ナンバーがテッパンだし、海外に目を向けても、どうせ代表曲しか求められないから新譜はもう出さないと決めたバンドもあります。需要と供給のバランスを考えれば、高齢者がユーザーになれば、これは致し方がないのは分かるんですけどね•••。

 

だけど55歳、今なお現役バリバリの音楽好きとしては、やはり新譜を聴くドキドキ感を味わいたいのです。新曲を聴くスリルや喜びは、何にも変え難いものがある。それがジュリーの新譜なら尚更だ。生意気にもアレコレ言いたいし、歌詞や振り付けも覚えたいし、悩みながらギターパートをコピーしたい。


先輩の皆さんは、はじめて聴くCDやレコードを再生するときの気持ちなんか、もう忘れてしまったのでしょう。それぞれの人生が大変だもの。


しかし、宝物のように大事にレコードを小脇に抱えて家路に着く気分、レコードをターンテーブルに載せ、背筋を伸ばして最初の音を聴くまでのピリピリした緊張感や、ジャケや歌詞カード、クレジット、オマケのポスターを何度も眺める高揚感って、生きとし生けるもの、YouTubeで他人の無責任な意見に同調するより重要だぞ。


ともかくライブは別として、僕はこうやってジュリーと対話してきたし、こういう音楽との出会いの中毒者なんですわ、僕は。


令和版「JULIE SONG CALENDAR」が無理でも、どうか「新曲」をお願いします。いままでジュリーが新曲を出すたび、どんな歌なのか、どんな衣装で演るのか、ずっとずっと気にしてきた「少数派」の気持ちというのも、ぜひ汲んで欲しいと願う今日この頃なのであります。

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佐野元春とジュリー

「一月」といえば、今回の正月ライブでも歌われた「The Vanity Factory」。僕はこの曲が大好きで、ジュリーの代表曲のひとつだと思っている。

 

アルバムそのものが僕に佐野元春さんや伊藤銀次さんを知るきっかけを与えてくれた作品だし、そこからどんどん僕の世界が広がっていった、いわば僕のスタートラインと呼べるスペシャルなLP。ひとりの少年の人生を変えたんだから、すごいことだ。

 

楽曲もアレンジもカッコよくて痺れるんだけど、正直いうと中学生には歌詞がイマイチよく分からなかった。「虚栄心工場」って一体なんやねん(笑)実際にあちこちの町工場の看板を眺めては「Vanity」を製作している「Factory」を探しまわりましたよ、アホな僕は。

 

結局、「Factory」というのが比喩だということに気づくまでに、どれほどの歳月を費やしたことか。途中、ARBの「ファクトリー」という生々しい曲にも影響を受けたことによって、余計に混乱してしまった僕。

 

まあ、比喩ですわな(笑)街のいたるところで世相の「自惚れ」や「思い上がり」が生産ラインに乗ったくらいの勢いで日々増産されていく状況。それは「間の抜けた街のジャズに合わせてリズムを取るような行為」だったりするのだけど、そんなのはもうやめだと主人公は主張する。

 

佐野元春ファンとして述べると、佐野さんの創作手法のひとつに、言葉遊びをしながら街を俯瞰しつつ、目線はけっこう鋭くシニカルというものがある。


2ndアルバム「HEART BEAT」収録の「It‘ Alright」という曲が言葉遊びの代表曲に挙げられるんだけど、実はこの「It‘ Alright」 こそが「The Vanity Factory」と対を成しているのではないかと僕は勝手に妄想するようになった。ここでは歌詞は割愛しますが、皆さんも機会があればぜひこの2曲を聴き比べて似ている点を探してみて。


ただ「It‘ Alright」は肯定で、「The Vanity Factory」は否定。これが何を差すのか?ピアノのソロから滑りだしたマッコイ•タイナーのナンバーの意味と同じくらい、未熟な僕にはまだ分からないけど、バカボンのパパならきっとこう言うだろう。「これでいいのだ」と。

 

今回の記事を要約すれば、「The Vanity Factory」には「It‘ Alright」という兄弟曲があるよ、というあまり誰も得をしないお話でした。

 

しかし僕はきっといまもジュリーと佐野さんは相思相愛、お互いをリスペクトし合っていると思っていて、難しいんだろうけど、いつか再びタッグを組んで楽曲を発表してもらいたいのです。「耒タルベキ素敵」の制作時、どうして佐野さんに楽曲の依頼をしなかったのか、あるいはなぜ実現しなかったのか。

 

「The Vanity Factory」や「彼女はデリケート」を一緒に演るおふたりの姿が見てみたい。そんな願望を込めて、この記事をアップしました。


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1/17「甲辰 静かなる岩」

1月17日、沢田研二 2024正月ライブ「甲辰 静かなる岩」、大阪フェスティバルホールに行ってきました。

 

毎年、ジュリーの正月ライブに行かないと年が明けた感が湧きません。ジュリーの姿を見て、ようやく令和6年を迎えたような気がします。

 

さて肝心のライブのほうは、「素晴らしかった」の一言に尽きます。実は先週、東京のライブに出かけた息子の感想は「う〜ん」だったのですが、とんでもない、さすがジュリー自身「世界一好きなホールです」と公言されているフェスティバルホールでのライブ。ジュリーやバンドの熱量を感じさせられる、まさにキング•オブ•キング、王道のパフォーマンスでした。

 

息子は衣装が気に食わなかったそうですが、81年のミック•ジャガーやTHE WHOの「オッズ&ソッズ」のレコードジャケにも違和感のない僕は全然OK。もっともミックやWHOはアメフトなんですが(笑)、またメガネもジョン•レノン好きの僕には抵抗はありません。むしろ慎重なジュリーの安全策を受け入れたいと思いました。

 

今回のライブは、やはり「さいたまスーパーアリーナ」を経験を経て、バンドがより強固かつパワフルになったという感想を持ちました。バンド名こそまだ有りませんが、7人のメンバーがそれぞれの持ち味をいいカタチで前に出せるようになったな、と感じました。

 

一曲目から平石さんのハイブリッドなドラムで、僕は一挙に体温が上がりました。EXOTICSのテイストを活かしつつ、新たなスタイルで叩く姿に、「日本のジンジャー•ベイカー」の称号を贈りたい(僕にその権利があるなら)です。

 

また高見さんのギターも圧巻でした。「カサブランカ・ダンディ」にユニゾンでワウを被せるプレイには、目からウロコが何枚も落とされましたし、今回の高見さんのプレイには特にフランク•ザッパ的なアプローチをたくさん感じたのは僕だけでしょうか。ワウペダルとオートワウを駆使し、たまらなくカッコいい変態サウンドで、とことんエロく迫ってくれたと思います。高見さんが前でソロを弾き終えるたび、依知川さんが高見さんのブースターペダルを踏みにくる姿も微笑ましかったです。

 

「根腐れpolitician」と「ISONOMIA」の2曲は圧巻、鳥肌モノでした。原曲がギターのみの作品ですが、バンドのアレンジが素晴らしく、ふだん余計な音を嫌うジュリーの耳にだけ聴こえているサウンドの具現化なのではないかとさえ思いました。これは是非とも音源にして欲しいです。今回だけのアレンジなんて勿体ない!

 

そんなエロカッコいいサウンドたちの仕掛け人はもちろん柴山さん。他のメンバーからみれば、ロック•バック•バンドの何たるか、ロックギターの何たるかを身をもって体現し、あまつさえジュリー(と不肖この僕)の心地いいツボを地球上で一番熟知しているギタリストですから、柴山さんには絶大な信頼を寄せているはず。そんなバンマスがサングラスに赤いジャケット、レザーパンツで「ガンガン行こうぜ」の作戦をチョイスしているのですから、当然こうなる。

 

そしてそのグルーヴに応えずにはいられないのが、我らがジュリー。仕掛けられたら倍にして返さないと気が済まない性格。今回は被災された人々に強い祈りのパワーをオーディエンスと共有したい思いとその包容力。オーディエンスもそれを受けて、フェスティバルホール内はどんどんヒートアップ。引火しそうな摩擦に次ぐ摩擦で、演者と僕たちは最高に気持ちのいい波動に包まれました。

 

♪心の距離も少しは遠くにあったほうがいい

愛の電波はどこでも届く

離れているから優しくなれるよ

 

今回はここが一番の僕のツボでした。もはやジュリーサウンドに身を委ねて酔いしれるのみ。この夢のようなひとときで、今年も耐え抜く気力が湧きました。ヒネクレていようが、得手勝手だろうが、僕はこんな自分自身の感性を信じながら、「ジュリーな毎日」を過ごしていくだけです。

 

また赤いカオナシみたいな格好で、ジュリーが転売ヤーの犯罪に関心を寄せていることも分かり、これからも微力ながら転売ヤー撲滅の声をあげていこうと思いました。「買わないこと」が何よりの対策、「買う」は犯罪者を儲けさせること。ジュリーファンは人生経験の豊かさと善の心でこの悪を退散させましょう。

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9/21 大阪フェスティバルホール

大阪フェスティバルホール、バルコニー席で盛り上がってきました。3階席だけに、高所恐怖症気味の僕にはちょっと眼下は怖かった。









バルコニー席はスタンディング禁止なんだけど、その分、ゆったりじっくりライブに集中。観客席のノリもまさに「客観」的に見ることができるので、ちょっと不思議な感覚。ふだんは僕もその中にいて、手拍子を打ったり、踊ったりしているのにね。それにしても昨日の大阪フェスティバルホール観客の皆さん、なかなかいいノリしてましたよ。

3階席からのライブということで、先祖代々受け継ぐ自慢の軍用双眼鏡が実力を発揮。ジュリーの髪の一本から、バンドのエフェクターボードの中、そして細かな柴山さんの指先までしっかりと見れました。

柴山さんのギタープレイを研究している僕としては、いくつかの疑問や謎が解け、さらに柴山さんの凄さを知ることになりました。やはり長年、ジュリーサウンドを支えてきた奥の深さをあらためて実感し、さらにさらにリスペクト度が増えました。「あの曲とあの曲は柴山さんっぽく弾けるよ」だなんて調子に乗っていたけど、僕なんてまだまだ初心者レベルでした。反省しもっと精進します。

しかしつくづく素晴らしいですね、一挙一動がサマになる75歳なんてジュリーだけだし、ライブが繰り広げられていく中でどんどん次元を突破していく脅威の声帯、あの唯一無二のロックなボーカルを支えるサウンドの力強さ。やはりバンマスである柴山さんあっての気を抜かない完璧な演奏。ジュリーにはそろそろバンドの命名もお願いしたいところです。

高見さんも平石さんもプレイのキレがいいんですよね、ヒット曲の数々をさらにカッコよくしてくれている。ジュリーが自分の曲を他人にカバーされることを嫌がるのは、そうやって磨きに磨きをかけているからなんだろうし、75歳の「サムライ」のカッコ良さたるや、失神してしまいそうなほど強烈すぎます。

今回、コーラスの山崎イサオさんが体調不良でお休み。「時計/夏がいく」や「いつか君は」での山崎さんの低音コーラスに馴染んでしまった僕にとっては、若干の物足りなさが•••。「河内音頭」は諏訪さんと会場に来られていた野田晋市さんが舞台に上がって合いの手を担当。野田さんの紹介がなかったのが少し残念でした。山崎イサオさんの回復をお祈り申し上げます。



阪神優勝の喜びもジュリーと共有できたし、来年のお正月の日程も発表されたし、お楽しみはまだまだこれから。さて正月ライブのタイトルにどういう含みがあるのか、最後に会場に流れた「月のギター」の意味は?など、これからあれこれと妄想を膨らませながら考えてみたいと思っています。

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幻の3113-1の伝説

さいたまスーパーアリーナも終わり、ひと段落の日々。興奮、感動醒めやらぬまま、それでも平常どおりの「ジュリーな毎日」。

ここ数日は「Mis Cast」をよく聴いています。息子が調べて分かったんだけど、このアルバムがポリドールから発売されたCDの記念すべき一枚目なんだそうです。

しかしまあ、リアルタイムでCDを買った人なんて、どのくらいいたのでしょうか?僕なんてまだCDの存在も知らなかった中学2年生。「Mis Cast」のCD盤のリリースはレコードに遅れること翌年の1983年3月だ。

僕がCDプレーヤーを買ったのは高2でしたからね。柔道で黒帯になった記念にサンヨーのミニコンポを購入したんだけど、その頃でもまだまだレコードの存在感のほうが圧倒的だったし、レコードへの信頼度は不動のものだと思っていました。最初に尾崎豊の「壊れた扉から」と、なぜかバディ•ホリーのベスト盤のCDを購入したけど、本当は友達との貸し借りなどの互換性を考慮するなら、レコードのほうを優先して買い続けるほうが得策だと思っていました。

ところがそれから一年も経たない間に、あれよあれよとレコード店もレンタルレコード屋もサマ変わりして、CDの比率が高くなっできたのです。85年と86年ではまるで別世界。

いつの間にか、レコード店やレンタルレコード屋のLP盤用の袋を小脇に抱えて歩いている女子なんて見かけなくなりました。

すれ違いざまにぶつかった女子大生のお姉さんのレコード袋を拾ってあげたら、「スタイルカウンシル」なんかのレコードジャケットが顔を覗かせて、「ポール•ウェラーお好きなんですか?」と会話がはじまり、「いい趣味してますね、じゃあ僕のザ•ジャムのレコードを貸してあげましょうか?」なんて話が弾んで、一緒にライブに行く仲になる、みたいな(笑)まあそんな妄想に人生の大半を費やしている人間なんて、僕か人見欣幸氏くらいかも知れませんが。

大沢誉志幸さんの「LIFE」はCDで買った。そっちの方が一曲多かったから。佐野さんの「カフェ•ボヘミア」もCDで買った。

ジュリーのアルバムで最初に買ったのは「CO-CóLO 1」。ジャケットや歌詞カードまでコンパクトになってしまって、何となく損をしたような気になったんですよね。まだ完全にCDを信用していなかった僕にとっては、「どうしたジュリー、こんなに小さくなっちゃって•••トホホ•••今回は顔写真もないやん•••」ですよ。

またそれをカセットにダビングすると、僕のCDコンポの頭出し機能の特性なのか、「"B"サイドガール」と「夜のみだらな鳥たち」の間にコンマ何秒かの空白が入ってしまう。ウォークマンでカセットを聴くたび、毎回イラっとしていたんですよね。

僕にとってジュリーのLPは、両手で恭しくターンテーブルに載せる儀式めいた気分も併せ持っていたので、他のアーティストのそれと違って、イジェクトボタンを押して片手でポンというのは、正直違うんじゃないか?A面とB面、それぞれに思い入れがあって、なんとなくCDに対する反発心が沸いた記憶があります。

ところが慣れというのは怖いもので、いつの間にかCDが当たり前になってしまいました。それでもCDアルバムを聴く際には、「ここまでがA面、次の曲からB面」なんて勝手に考える癖だけは健在です。CDしか知らない若い世代には分からんと思いますが。

さて、「Mis Cast」がポリドール初のCD作品だと踏まえてアルバムを聴くと、確かに「CDを作るぞ、エイエイ•オー!」という気迫やこだわりが強く感じられます。音の多さやサウンドのこだわりにジュリー版の「サージェントペッパー」みたいな印象を受けたのは、これだったのかも知れません。

「我が社もCDを」とポリドールの重役会議なんかで「一発目は誰の作品にしようか?」などとツノ付き合わせて話し合った結果、おそらく満場一致で沢田研二だ!と決まったはずだし、レコーディングのモチベーションも通常より高いはずです。

記念すべきポリドール第一号CD「3113-1」が「ミスキャスト」(あえてカタカナタイトル)で、ちなみに3113-2は前田武彦曰く「3日前のハンバーグ」菅原洋一さんのアルバム「ホテル〜それぞれの人生」、3113-3は小林旭オリジナル•ベスト•アルバム。3113-4は「江差追分〜新相馬節、原田直之民謡アルバム」。この4枚が同時リリースされました。3ヶ月後には野口五郎ベストアルバムや、加藤登紀子さんの作品などもリリースされ、翌84年の3月にはジュリー初プロデュース作品、EXOTICSの「LIBRARY 」が発売!すごい話ですよね。ジュリーレーベルから2枚、CDになったんですよ。
 

 

 

 



しかしその後、ポリドールからジュリーの新作アルバムがCDとして発売されることはなかったので、「女たちよ」や「ノンポリシー」、「ロイヤルストレートフラッシュ3」がCD化されるまで、長い時間がかかりました。

で、この「Mis Cast」のCD盤なんですが、レコード及び後発のCDと聴き比べると、ミキシングの波形が違っており、若干テンポが早いんです。とはいっても、実際に耳で聴き比べても分からない程度なんですけどね。パソコンの画面でのみ「おっ?」で、うちのステレオごときでは明らかな違いは感じられませんでした(笑)

しかしこれがどういうことかというと、レコードプレスとCDプレスのときに使われたマスター音源はそれぞれ別物なんです。後発のCDはレコード盤音源を使っていますから、ポリドールCD第一号音源3113-1は、いまとなっては幻の音源だということ。これがリマスターされて世に出ると、またマニアは大喜びするはず。

そう考えれば、アポロンでカセットで発売されたマスター音源も、レコードのそれとは違うのか、という疑問が残る。これはまたいずれ検証してみて(息子にやらせて)、あらためてご報告させていただきます。

「3113-1、リアルタイムで買ったよ」というリッチでセレブリティな方がいらっしゃったら、どんなプレーヤーや音響で聴いたのか、お聞かせくださると幸いです。

以上、世界で最初のCDはピンク・フロイド、日本の東芝はポール•マッカートニー、ポリドールで最初の歌モノCDは沢田研二の「Mis Cast」なんだぞ!というお話でした。

※ポリドールは同時にクラッシック部門、ジャズ部門、ニューミュージック部門からそれぞれCDを発売しております。ジャズはカウントベイシー、ニューミュージックは高中正義です。
 

 

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WOWOWの録画をみて

友人に頼んでおいたWOWOWの録画をみて、さらに興奮している僕。

その友人の奥さんは、ジュリーには特に関心がなかったのに、ノリノリでライブ中継を観ていたとのこと。感想を語る友人と「何でかな?」と話していましたが、それを僕に訊くか?長くなるぞ(笑)

兎にも角にも、最高のロックショーでした。カメラの撮り方も音響もグッジョブ!照明もTOKIOの「♪真っ赤に燃え上がる」の部分はちょっと早かったけど、それ以外はパーフェクト!優秀なスタッフたちが演出を練りに練って、演者とオーディエンスが気持ちよくなるように、作り上げてくれたことも忘れてはならないのです。スタッフにも拍手ですね。

それにバンドの演奏の素晴らしさ。ゲストの3名は、まさに「あの時代を彷彿とさせる」ような味のあるプレイ。サリーさんのベースに何度も鳥肌でしたし、ピーさんのパワーのある手数も、ザ•タイガースのライブアルバムでさんざん耳にしてきたものでした。タローさんのプレイも相変わらずスリリングでしたし、リアルタイムで全盛期のザ•タイガースを見れなかった僕が、頭の中で勝手に膨らませていたタイガースサウンドのイメージは、2013年のライブよりも、今回のほうが合致しました。

ザ•タイガースの一員として歌うときは「ありがとう!サンキュー!ありがとうね!!!」じゃなく、メンバーと一緒に深々とお辞儀するのがタイガース流なんですね。

そしてすっかり定着した柴山さん、依知川さん、高見さん、平石さん、斉藤さんと、コーラスのすわさんと山崎さんによる「一生懸命バンド(勝手に命名)」のサウンドも、この本番当日に最高の仕上がりを聴かせてくれました。これまでに何度かライブを観てきましたが、その都度、それぞれが試行錯誤をしている印象を受けていましたが、こんな大きなステージにも関わらず、皆さんが楽しんで演奏しているのも伝わってきて、聴いていて気持ちよかったです。

熱狂の渦に叩き込まれた第二部のヒットナンバーの数々にまったく古さを感じない点も重要。友人に答えるため僕なりにその理由を考えてみたのですが、「昔のヒット曲」を歌ったというより、もっとリアルに、75歳の「時の過ぎゆくままに」だったり、「勝手にしやがれ」を歌ってくれたわけで、それがオーディエンスの胸にビンビン、キュンキュンに響いたのだと思うんですよね。

「若い頃によく聴いた懐かしい曲」ではなく、常日頃からジュリーの分身となり、いつも僕やあなたの隣に寄り添って、励ましてくれたり、慰めてくれている大切な楽曲たちですからね。いわばジュリーと僕たちが共有している宝物。新品のキラキラではなく、歳月をかけて磨き込まれた渋い光沢。75歳版の「サムライ」は、そりゃ「効く」に決まってます(笑)

「印半纏」(というのかな)を羽織って登場したジュリー。「中洲」は「泣かす」という意味なのか?ジュリーの河内音頭に泣かされました。音楽劇の盟友の皆さんとGRACEさんが舞台に上がってくれたのも感動。できれば一緒に「SHOUT!」を歌って欲しかったな。

WOWOWのライブ中継で感動した友人とその奥さん、そして僕•••。いろいろと思ったことや考えたことを書き連ねてみたけど、基本中の基本なんですが、すべてはジュリーの凄さです。

僕らの感動や興奮も、すべてはお釈迦さまみたいなジュリーの手の中。第一部のMCでも仰っていたように、未成年の頃から人前で演奏してきて、念願叶って1967年2月にザ•タイガースでプロデビュー、それ以来、ずっとライブにこだわりを持ち続けて、ステージに立っている人ですからね。

6年間、プロとしてライブを続けていたら、とっくに達人の域。もはや仙人とか神の領域なのではと思ってしまいます。なので凡人ごときがあれこれ偉そうに言えるレベルではないのです。それはむしろ失笑でしかない。何もかもすべてはジュリーの手の中で、生意気なことを言わせていただいていることを、少し恥じつつ、ジュリーに甘えさせていただきながら、ブログを続けていきます。

さあ、今夜も見なきゃ。
何度も見れるのが嬉しい。
 

 

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これが沢田研二だ!

6/25、さいたまスーパーアリーナの、赤い旗のもとに行ってきました。

 

 


もう素晴らしいの一言に尽きます。生放送をご覧になられた方も多数いらっしゃると思いますが、会場のほうは腹に心に魂に響く音圧と熱気がハンパではなく、一曲一曲が始まるごとに鳥肌が止まらなかったです。

2018年からの鬱憤、さらに演者のみならず僕たちオーディエンスにも流行り病がもたらしたさまざまなダメージを見事に払拭するというか、いちばん胸がすくやり方で蹴散らしてくれたライブでした。

長年にわたり、いままで何度もジュリーのライブを観てきたけど、こんな神々しさを感じたのははじめてでした。

瞳みのる氏
森本太郎氏
岸辺一徳氏
による胸熱なタイガースナンバーや、語られた貴重な思い出の数々。休憩が終わると怒涛のジュリーナンバーのオンパレード。「一生懸命バンド」(勝手に命名)の演奏も素晴らしく、「そのキスが欲しい」の柴山さんのギターソロで僕は一気にテンションがMAX。普段は自慢の軍用双眼鏡で皆さんのプレイをクールに鑑賞している僕も、今回ばかりはそれどころじゃなく、双眼鏡を足元にほったらかして、ノリノリで手拍子や振付をし、時にはジュリーと一緒に歌い、拳を振り上げ、汗だくになりました。

僕が特に嬉しかったのは「TOKIO」の解禁です。2021年の「BALLAD」の「TOKIO」を聴いたとき、僕は「主人公のパラシュートが開かなかった。変異株の名称を呟きながら、不安定にクルクルと落ちていく不安。早く元のTOKIOで盛り上がれる日に戻ることを、ジュリーとともに祈る」と書いたけど、柴山さんが耳慣れた「TOKIO」のイントロをかき鳴らした途端、嬉しくて思わず叫んでしまいました。

古参ブロガーとしてライブレポくらいは上手く表現しなければならないのに、ごめんなさい、今回ばかりはもう圧倒されるしかなかったし、言葉が見つからないというのが正直なところ。こうして記事を書いているいまも、興奮の余韻は治まりません。アパホテルの一室、目を閉じてもシャワーを浴びても、耳や目や心に焼きつけた場面が次々に浮かんできて寝られへんねん。この時間になっても。

こんな素晴らしいライブをやってくれたジュリーに対して、感謝しかありません。あきらめずに頑張っていくための最強パワーをいただきました。ホンマにカッコいいおっさんやで!日本中よ、これが沢田研二じゃ!

5歳のお誕生日と、お釣りがくるほどのリベンジの達成に心からお祝いを申し上げますとともに、誰もが感じたであろうあなたのファンとしての誇らしさに、厚く御礼を申し上げます。

ありがとう!
サンキュー!
アリガトーネ‼︎!

 

 

 


 

 

 

 


WOWOWの録画は友人に頼んだ。バッチリ録ったとメッセージもあった。それを受け取って、家で観るまで僕のSSAはまだ終わりません。

 

 

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